追悼コービー・ブライアント:NBA2年目、19歳当時の密着ルポ完全翻訳

ロサンゼルス・レイカーズの背番号8番コービー・ブライアント 1998年頃ロサンゼルスにて撮影 (Photo by Jon Soohoo/NBAE/Getty)


コービーの母親パム・ブライアントは、過去のあるエピソードを明かしている。コービーが運転免許を取った時、彼女は彼に父親のBMWを運転する際には、必ず免許と車両登録証明書を携帯するようにと念を押した。その理由は、若い黒人は理由もなく警察に呼び止められるからというものだった。

「それでどうなったと思う?」彼の母親は続ける。「2週間後に、彼は警察に呼び止められたの。年齢に見合わない車を運転しているからっていう理由でね。コービーが免許証を見せると、その警察官は彼にサインをねだったのよ」真摯に応じたコービーは、帰宅すると笑ってこう言ったという。「やっぱり備えあれば憂いなしだよ」

コービー・ブライアントはいくつかフリースローを決めると、筆者の姿を見つけてレイカーズの練習用コートから離れた。1997-98シーズンの中盤のある早い午後、筆者が最後に彼と話してから約1年が経っていた。その間に、状況は大きく変化していた。笑顔を浮かべた彼は筆者とハグを交わすと、昨シーズンに剃った頭を撫でた。

「この頭見てよ」ブライアントは笑ってそう話す。「毛が生えたんだ」

言うまでもなく、変化はそれだけではない。例えば身長は2.5センチ伸び、たくましい筋肉によって体重は4.5キロ増加した。しかし、もっと強調すべき変化は他にある。


最も特筆すべき変化は、彼がNBAのオールスターチームの1軍入りを果たしたということだ。彼が史上最年少で選出された背景には、マイケル・ジョーダンに代わるスーパースターを必要としているNBAの思惑があることは明らかだった。NBAのプレーオフで活躍する姿だけでなく、彼が新人王に選出されたティム・ダンカン、そしてヒップホップ界の女王ミッシー・エリオットと共にラップするスプライトのCMを見たことがある人は多いだろう。

今年のオールスターゲームは、ブライアントに対する世間の熱狂ぶりを物語っていた。レイカーズは過去15年間で初めて4人の選手(ブライアント、オニール、エディー・ジョーンズ、ニック・ヴァン・エクセル)を送り出したチームとなったが、ブライアントが主役であることは明らかだった。レイカーズでは先発していないことを考えれば、これは快挙と言えるだろう。試合のハイライトをテレビで観た人々は、試合にはブライアントとジョーダンしか出ていなかったと思ったに違いない。ニューヨーク滞在中、彼はNBCの『Meet The Press』への出演も果たした。

その一方で、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンのコートを駆け回る彼のプレーは、彼に苛立っている選手たちがいる理由を示していた。活躍を重ねることでキャリアを築き上げてきた他の選手たちに、彼はパスを回そうとしなかった。試合の途中でカール・マローンは彼に注意しようとしたが、ブライアントは聞く耳を持たなかった。試合後、マローンは怒りをあらわにした。ブライアントがジョーダンとの1on1にこだわり過ぎ、東海岸と西海岸の選抜チームの優劣を決定するという試合の大義を忘れてしまっていたとして、ベテラン選手たちは不満を示していた。

「NBAとNBCのやり方は、彼に悪い影響を与えてしまった」レイカーズのコーチDel Harrisはそう話す。「彼は以前はチームワークを重んじていた。でもあれ以来、彼はもっと自己中心的なプレーをするようになった」

それはパフォーマンスの悪化につながっていた。オールスター開催前、ブライアントのシュート成功率は45パーセントを誇り、1試合の平均得点は18に達そうとしていた。しかしオールスター開催後は、シュート成功率は34パーセント、平均得点は14に下がった。彼は自身のプレースタイルを省みる様子は見せていない。「少しトーンダウンして、チームのコンセプトに寄せる必要はあると思う」彼はそつなくそう答えている。「でも僕は攻撃的な選手なんだ。それを失わないことも、同じくらい大切だと思う」

Translated by Masaaki Yoshida

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

MOST VIEWED人気の記事

Current ISSUE