追悼コービー・ブライアント:NBA2年目、19歳当時の密着ルポ完全翻訳

ロサンゼルス・レイカーズの背番号8番コービー・ブライアント 1998年頃ロサンゼルスにて撮影 (Photo by Jon Soohoo/NBAE/Getty)


ジョー・ブライアントの才能を受け継いでいたコービーが父親を凌ぐプレーヤーになるであろうことは、早い段階から予想されていた。成長が早かっただけでなく(中学2年の時点で187センチに達しており、現在は2メートルを超えている)、彼は電光石火のごとき俊敏さと驚くべき跳躍力を誇った。そのチャーミングさと父親譲りの派手なプレースタイルを自覚していたコービー・ブライアントは、その頃から自分にはコートの内外で注目を浴びるスーパースターとしての資質があると感じていた。それ以来、彼は自分の両面を磨き始めた。「バスケがすべてだった」彼はそう話す。「バスケが彼女だったんだ」

「俺の高校生活はのんびりしてて、映画を観たり、気が向いたら1on1をやったりしてた」ブライアントの親友の1人、Matt Matkovはそう話す。「でも俺がパーティーしてる時も、あいつはバスケをしてた。俺が朝起きる頃、あいつは既にバスケをやってた。授業が始まる前にね」

バスケットボールの技術は言わずもがなだが、彼が試合で本格的に活躍し始める以前からL.A. Forumのファンのハートを掴むことができたのは、彼がコートの外で発するカリスマ性と威圧的でない存在感が大きな理由だろう。彼は明るいだけでなく、年齢に見合わない落ち着きとチャーミングさを持ち合わせている。彼は19歳にして既に、マイケル・ジョーダンやトム・クルーズが長年にわたる脚光の中で培ってきた親近感のようなものを醸し出している。彼の笑顔の前では、ペテン師さえも顔を赤らめるに違いない。Matkovの母親は以前、ブライアントはレポーターを前にしている時が一番しっかりしているとからかっていたという。

「コービーはそういうやつなんだ」Matkovはそう話す。「レポーターを前にすると、文法なんかをきっちり意識した話し方で、いかにも彼らが喜びそうなことを言うんだ。ファンを増やすために、そういう有名人モードのスイッチを入れるんだよ」

高校時代にブライアントが残したエピソードの中でも最も有名なのは、彼に手を焼いていた学校の経営陣にサインをせがませたプロムでのことだ。彼が連れてきたのは、ポップシンガーで『Moesha』の主役だったブランディーだった。2人は1996年にニューヨークで行われたEssence Awardsの会場で出会った。

「友人に彼女を誘ってもらって、彼女はお母さんに許可を求めたらしいよ」ブライアントはそう話す。「信じられないだろ?自分でも『マジかよ、ブランディーだぜ?』って感じだったからね」

プロムでの写真はPeople誌やJet Magazine等にも掲載された。ブライアントは17歳にして既に、国内のトップクラスのカレッジバスケ選手たちと同じくらい有名になっていた。卒業後はいくつかに絞った大学(デューク大学が最有力だった)かNBAに進むかで迷っていたが、ブライアントは同校の体育館で記者会見を開き、その場でプロになる意向を表明した。それと同時に、世間からの批判が始まった。その矛先が向けられたのは彼の両親で、彼らはブライアントを見世物にしていると批判された。

Translated by Masaaki Yoshida

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