MeToo運動が浮き彫りにした「有害な男らしさ」とは?

2010年代を代表するMeToo運動(Photos in Illustration by Yonhap/EPA-EFE/Shutterstock, Mark Ralston/AFP via Getty Images, Erik McGregor/Pacific Press/LightRocket via Getty Images, Laurent Chamussy/Sipa/Shutterstock, Alex Wong/Getty Images, Gabriel Olsen/WireImage/Gett

2016年、ロック評論家のチャック・クロスターマンはニューヨーク・タイムズ紙に寄稿したエッセイのなかで、今から300年後の歴史の授業でどのミュージシャンがアメリカン・ロックの象徴と教えられるだろうか、と考察した。ビートルズ、ストーンズ、エルヴィス、ディランと並び、彼が「もっともピュアなロックの真髄」と称えたのはチャック・ベリーだ。「彼が世に送り出した楽曲も重要だが、彼の人となりや曲作りの原動力には及ばない。彼こそはロックの概念そのものだ」とクロスターマンは書いていた。

では2010年代のMeToo運動を振り返った際、「もっともピュアな真髄」というと誰になるだろうか? 真っ先に思いつく答えは、ハーヴェイ・ワインスタインとビル・コスビーだろう。犯した罪の大きさと悔恨の念がまったく見られないという点で肩を並べている。だが、私はアジス・アンサリを挙げたい。彼の非行の度合いは他の加害者の陰でかすんでしまっているが、MeToo運動の本質が有害な男性らしさについての議論を活発化させ、恩恵をむさぼる人々の責任を追及することだとすれば、アンサリの事件からはMeToo運動の長所と短所が見て取れる。彼こそ、MeToo運動の概念そのものをもっともよく表している。

アンサリの一件がクローズアップされたのは、今は閉鎖されたWEBサイトbabe.netでグレイスと名乗る女性が自らの体験談を掲載したのがきっかけだった。22歳の写真家グレイスは(当時30代だった)アンサリと1度デートしたことがあり、その時アンサリからベッドに誘われ、さらに指を彼女ののどに押し込み、アパートの周りで彼女を追い回したいと迫られた。彼女が断ると、彼は一瞬折れたように見えたが、その後無理やり彼女にオーラルセックスをやらせた。彼女は泣きながらUberに乗って帰宅した。

記事が公表されるや大勢の人々が、babe.netは記事を掲載する前にアンサリ氏にコメントを求めもせず、グレイスというユーザーネームの人物以外に話を確かめもせず、数々の報道規範に違反した、ともっともらしく指摘した。だが反響の多くはジャーナリズムの倫理よりも、名の知れた芸能人で、フェミニストの味方を自称するアンサリが、MeToo運動のやり玉にあげられたことに対する怒りの声だった。ニューヨーク・タイムズ紙のバリ・ワイス記者は論説記事の中で、babe.netの事件はMeTooの加熱ぶりを表していると主張した。たしかに紳士らしからぬふるまいだったかもしれないが、明らかに犯罪行為ではないのに、1人の男性のキャリアを台無しにするのはいかがなものか、といった風潮だった。

驚いたことに、アンサリのキャリアは台無しになるどころか、さほど大きなダメージも受けなかった。昨年夏には最新のコメディ番組がNetflixでスタートし、批評家からの評判も上々。つい最近もグラミー賞にノミネートされた。だが、アンサリの失墜は(たとえ束の間だったとしても)若い女性たちから反響の波を呼び起こした。彼女たちはみな、男性との性体験で1度、あるいは何度も同じような恐ろしい嫌な思いをさせられ、精神的苦痛を与えられたと主張した。こうした話に親身になって耳を傾けた人々にしてみれば、アジス・アンサリの事件から得た教訓はただひとつ、グレイスだけの問題ではなかったということだ。

Translated by Akiko Kato

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