MeToo運動が浮き彫りにした「有害な男らしさ」とは?

2010年代を代表するMeToo運動(Photos in Illustration by Yonhap/EPA-EFE/Shutterstock, Mark Ralston/AFP via Getty Images, Erik McGregor/Pacific Press/LightRocket via Getty Images, Laurent Chamussy/Sipa/Shutterstock, Alex Wong/Getty Images, Gabriel Olsen/WireImage/Gett



男性たちは今まで感じたことのない居心地の悪さを味わわされるはめに

世界中に存在するウェインスタインのような輩と、失業して憂さ晴らしに職場で銃をぶっ放し、その様子をライブストリーミングする20歳やそこらの若者の間には、天と地ほどの違いがある。だがその一方、有害な男らしさの議論は、悪党たちの行動の原因はどれも同じ、ということを認識することから始まっている。つまり、自分たちは世間に貸しがあり、それを取り返すためならどんな手段にも訴える権利がある、という考えだ。「誰しも苦労を経験するものですが、唯一ある特定の集団(白人男性)からは、自分が苦労しているんだから他人に当たり散らしても構わない、と考える人々が出てくるのです」と、プランク氏は著書『For the Love of Men』の中で書いている。

ここで彼女が言及しているのは白人男性に特化した銃乱射事件のことだが、映画業界の大物にも容易に当てはまる。

『Modern Manhood』の中で、著者のクレオ・スティラーはアジス・アンサリの不遇(あるいは不遇を免れたこと)が、広義のMeToo運動に対する個々の感情を反映していると言う点で、「MeTooのロールシャッハテスト」になぞらえた。だが、MeToo活動の写し鏡といったほうが正しいかもしれない。広域にわたる文化的対話の流れを変えたという点で活動が成し得たことと、成し得なかったことの両方を表しているからだ。先のコラムでは、悪い男たちのふるまいが一般的であることがあらためて浮き彫りになった。そして男性たちは自分たちの性行為を振り返らざるを得なくなり、今まで感じたことのない居心地の悪さを味わわされるはめになった。

だが、そうした効果はそれほど長く続かなかったようだ。ひとつには、アンサリが比較的無傷で騒動を免れたことが挙げられる。妥当かどうかという判断は読者に委ねるとして、こうした疑惑からすんなり立ち直った男性セレブは彼1人ではない。例えば2018年、ジェームズ・フランコは俳優学校の女子生徒に対し、きわどいヌードシーンや疑似セックスシーンに参加すれば役がもらえるかもしれないという餌をちらつかせ、性的に食い物にしたと非難された。アンサリ同様、知性派でインディーズシーンの象徴と見られていたフランコは当初不正を否定したが、のちに謝罪し、その後もHBOシリーズ『DEUCE/ポルノストリート in NY』が最終回を迎えるまで、主演兼エグゼクティブプロデューサーとして続投した。権力や優位性をかざして同業の若い女性をたぶらかし、嫌な思いをさせた有害な男らしさの例として、これほどわかりやすい例は他にないだろう。と同時に、見た目や才能、あるいは評判ゆえに、とても悪党には見えないような類の悪党が実際に存在することの実例でもある。

Translated by Akiko Kato

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