伝説の銀行強盗、ジョン・デリンジャーの遺体掘り起こし計画が中止に

今も謎が残るジョン・ディリンジャーだが、遺体の掘り起こしは中止に。(Photo by Bettmann Archive/Getty Images)

1930年代前半にアメリカ中西部で銀行強盗を繰り返した伝説のギャング、ジョン・デリンジャーの遺族らが遺体の掘り起こし計画を中止した。掘り起こしをめぐる訴訟が、米インディアナ州の裁判所の判断を待たずして取り下げられた1カ月後の決定だった。

2019年7月、デリンジャーの甥にあたるマイケル・C・トンプソン氏は、ヒストリーチャンネルのドキュメンタリーと共同でディリンジャーの遺体を掘り起こすために、インディアナ州衛生局に許可を申請した。申請は承認され、9月16日に発掘作業が予定されたが、デリンジャーが埋葬されたインディアナ州インディアナポリスのクラウンヒル墓地が拒否した。

デリンジャーの甥とその息子は、墓地の決定の中止を求めてマリオン郡上位裁判所に提訴。だが12月、最終的に裁判所はクラウンヒル墓地の主張を支持した。これに対する控訴の期日は1月15日だったが、ディリンジャーの遺族は控訴の代わりに、掘り起こし計画の中止を選んだ。ヒストリーチャンネルは予定していたドキュメンタリーから撤退した。

「我々は今後も遺族への配慮から、我々の権利として遺体の掘り起こしを拒み、不必要な騒動からクラウンヒル墓地を保護してまいります」と、墓地の広報担当者はインディアナポリススター紙に語った。デリンジャーの遺体は、かつてインディアナポリスで連続した墓荒らしや遺体泥棒への対策として、2.5トンのコンクリートの中に収められている。

トンプソンが発掘許可を申請した当時は計画の真の目的は知られていなかった。のちに予定されていたヒストリーチャンネルのドキュメンタリーは、1934年7月22日、シカゴのバイオグラフシアターの前で連邦捜査官が射殺したのはデリンジャーに似た別の人間だった、という長年ささやかれていた噂をテーマにしていることが明らかになった。

「報告された死亡日の1934年7月22日以降、デリンジャーが生きていたかどうかを確かめることが重要だと、私は固く信じています」と、マイケル・C・トンプソンは宣誓供述書の中ではっきり主張した。「もしその日彼が死んでいなかったなら、実際に彼の身に何が起きたのか、ぜひ知りたいのです。どこで暮らしたのか、子供はいたのか、彼の子供や孫は今も生きているのか」

ヒストリーチャンネルのドキュメンタリーや遺体発掘計画のニュースを受け、FBIは声明を発表。バイオグラフシアターの前で殺されたのは間違いなく、かつて「社会の敵ナンバーワン」とよばれたデリンジャーであると改めて断言し、そっくりさんの説を「よくある俗説」と一蹴した。また、その他の証拠に加えて、遺体の指紋がディリンジャーのものと一致していた点も指摘した。

Translated by Akiko Kato

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