松田聖子や吉沢秋絵の曲を手がけた理由 プロデューサー/アレンジャーの瀬尾一三が語る

石川セリの名盤『ときどき私は…SERI』の制作裏話

田家:同時代・同世代の小うるさいじじいのリスナーとして、この曲が収録されていたのは拍手でありました。石川セリさんの名盤『ときどき私は…SERI』の中の1曲「虹のひと部屋」でした。アルバムの中でも特に印象的な曲で、作曲と編曲ですもんね。これはどういう思い出がありますか?

瀬尾:これはですね、当時のフォノグラムレコードっていうところのディレクターの本城さんに書いてみないかって言われて、それで書かせてもらってアレンジしたんです。この時に初めて矢野顕子さんとかともやって、楽しかったですよ。

田家:このアルバムは、松任谷由実さんの「朝焼けが消える前に」とか、下田逸郎さんの「SEXY」とか、この人がこんな曲書くんだっていうものが入ってまして名盤ですね。

瀬尾:この業界にいる小うるさくないおじさんおばさんは好きなアルバムですね(笑)。

田家:やっぱりちょっと違いますよね。

瀬尾:色っぽいいい女ですよ、人妻ですが(笑)

田家:お聴きいただいたのは、『時代を創った名曲たち 3〜瀬尾一三作品集 SUPER digest〜』の4曲目、石川セリさんで「虹のひと部屋」でした。続いては5曲目、大貫妙子さんで「じゃじゃ馬娘」。

大貫妙子「じゃじゃ馬娘」


田家:1978年発売の大貫妙子さんの3枚目のアルバム『ミニヨン』の1曲目。このアルバムのアレンジは瀬尾さんと坂本龍一さん、プロデュースは評論家の小倉エージさん。

瀬尾:これはですね、小倉エージの考えでそうなったんですが、僕がやったのはいわゆるLAサウンド。教授がやったのはヨーロッパサウンドという区別の仕方をして。それでその後の大貫さんが選んだのはヨーロッパサウンドでしたね(笑)。

田家:ですから、その後の大貫さんを聴いてらっしゃる方には意外な曲かもしれませんね。

瀬尾:そうですね、こういうこともあったので大貫さんも自分の行く道が見えたんじゃないでしょうか。

田家:このプロデュースをしている小倉さんは、元々URCのアート音楽出版というところのディレクターで。瀬尾さんはその頃からお付き合いがあったんですよね。

瀬尾:学生の頃から知ってたんですよ。

田家:同じ神戸の音楽シーンで。

瀬尾:輸入盤漁りをしてたんですよ。「これ持ってる?」って訊いて、持ってなかったら優越感に浸るみたいな。持ってなかったら、あっちこっち探しに行ってこれいいよ、あれいいよ知らないの? っていう競争をしていました。

田家:その時から、趣味が近かったんですか?

瀬尾:そうですね、同じようなとこが好きで。あいつが威張ってるのを見るとすごい腹が立ってね(笑)。

田家:で、瀬尾さんはURCからデビューされて、小倉さんはディレクターになると。少しづつ立場が違ってるわけですもんね。

瀬尾:そうですね、最終的に彼はいわゆる評論家になっていって、僕はものつくりの方に移っていって。

田家:その後、プロデューサーとアレンジャーとしてそこで出会って。複雑な何かというのもあるんですか?

瀬尾:そんなことないですよ、それはそれで面白かったんですが、大貫さんにとってこれが良いことか悪いことか分かりません。でもLA、ウェストコーストサウンドっていうものに決別はできたと思います。

田家:お聴きいただいたのは、アルバム5曲目の大貫妙子さんで「じゃじゃ馬娘」でした。続いては6曲目です。1979年CHAGE and ASKAのデビューシングル「ひとり咲き」。

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