「人は独りである」角銅真実がわかり合えない心の距離を歌う理由

─曲を作る行為は、誰かに伝えたい、届けたいというという気持ちとは少し違う?

角銅:違いますね。私は、自分の目の前で起きたことを一度「音楽」にすることでしか生きられないところがあります。その作業をせずにはいられず勝手にやっているだけなんですよ。そこから作品にしていく段階では、これがどういうものになっていくかとか、意味を考えながら作りますが、どんな形になっても、最初の作り始めの出発点は今後も変わらないと思います。……多分(笑)。

─(笑)。例えば「December 13」の歌詞の一部が、「Slice of Time」にも英詞となって登場します。それだけ角銅さんにとって、ここは大事なメッセージなのかなと。

角銅:はい、そうですね。



─どんなところから出てきた言葉だったんですか?

角銅:それはちょっと恥ずかしくて言えないんですけど……。

─はははは。

角銅:例えば遠く離れたところにいる人と連絡を取り合っていた時に、地球は回っていて時差もあるから、パッと発した言葉がその人に届く時には私はもういないんだなと、音を視覚的に感じた事があって、おもしろかったんですよね。

あと、「人は独りである」ということも制作中に考えていました。人と心から分かり合ったり共感したりすることってないと思うんですよ。音楽もそう。私は音楽を聴いて踊ったりするのが好きなので、友達がいて良い音で良い音楽がかかってたらそれだけでハッピーなんですけど「あ、この気持ちってきっと私しか知らない」と思うような音楽に心惹かれる。自分が世に出す作品も、そういうものであったらいいなとはなんとなく思っていました。

─「共感」や「共有」を求める音楽とは違うものを作ろう、と。

角銅:例えば「色」にしても、本当にみんなが同じものを見ている時に、同じ色を見ていることはないと思うんですね。みんな視力も脳みそも目玉も違うし、同じものを厳密に共有するって有り得ない。でもそのズレこそ豊かで面白いんじゃないかなって。わかり合えない距離があるからこそ、自分とは違う「他者」を認識し、分からないからこそ、その時初めて“想像する”という行為が生まれ、誰かに優しくしたいと願うんだと思います。

─ああ、なるほど。「他者」として距離があるからこそ、人と人は出会うことができる、と。

角銅:普段、私たちはこうやって身体を持って生きているけど、元々そのことにも戸惑いがあって。結構、いつ笑えばいいかとかもよく分からなかったり、心のありかってどこだろうとか、自分自身にも「距離」を感じるし、そういうところも面白いなと最近は思っています。


Photo by Tatsuya Hirota

─「身体への距離感」と聞いて思い出したのは、「『音楽』に近づくために『女性性』みたいなものもなるべく排除したい」という理由で坊主にしたエピソードです。

角銅:ああ、そんなこともありましたね。

─東京藝大時代、同じく坊主頭だった小田朋美さん(CRCK/LCKS)とキャンパスですれ違った話が大好きなんですよ。

角銅:本当ですか(笑)。そのあと、ダンサーのハラサオリさんも坊主頭にしたから、3つの坊主の星が星座を結ぶように藝大に存在していましたね。

─ははははは。

角銅:そのころは、「音そのものになりたい」と、「他者とフェアに結びつきたい」っていう気持ちが強かったんですよね、性別とかそういう属性に脚色されない状態で。今も音楽そのものになりたいという気持ちは変わらずありますけど、言葉を扱うようになった今は、その頃に比べると「人間」として音楽をやっている自覚はあります。

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