「人は独りである」角銅真実がわかり合えない心の距離を歌う理由

─アルバムタイトル『oar』は、どんな由来があるのでしょう。『Ya Chaika』の時は、「いつか使おうと思って取っておいた」っておっしゃっていましたけど。

角銅:今回は何の気なしにつけました(笑)。オールってどうやって書くのかなと思って調べたらoarで、「おわーっ!」って読むみたいだなと思って(笑)。言葉に出しても面白いし、「ear(耳)」にも似ていて可愛いし、「え、オール?」って言われて、「そうなんです。o-a-rって書いて、海でこう、舟を漕ぐオールだよ」って一々説明しなきゃいけない気がして、それもなんかいいなと思ったんですよね(笑)。

あと、これは後付けですが、楽曲が自分の手から離れ、受け取った人の中で色んな風に形を変えたり、どんどん知らないものになっていったりするといいなというのがあったから、「オールを漕いで、勝手にどこへでも行ってくれ」という意味にもなるかなと。

─アルバムを作る時にお手本にした人とかいました?

角銅:特にお手本にした人はいませんが、好きなアーティストならたくさんいます。最近はサム・アミドンさんが大好き! 特に『I See The Sign』(2010年)とか、弦楽器もたくさん入った大きな編成なのに、いい意味でこじんまりとしているというか。手触り感のあるサウンドでとても感銘を受けました。あとは、カレン・ダルトンさん、トム・ヨークさん、灰野敬二さんも大好きですね。川久保玲さんもすごくかっこいいなと思います。



─メロディはどのように浮かんでくるのですか?

角銅:曲を作っている時にそこまでメロディを真面目に考えることってあまりなくて(笑)。なんて言ったらいいんだろう……うーん!(身をよじらせる)みたいな感じで、ただ思いつくんです。

─(笑)。例えば他の楽器のフレーズを考えるのと、メロディを考えるのは同じ感覚?

角銅:いや、今回は歌をどこまで引き立たせられるかを、いつもよりもしっかり考えました。歌がフッと聞こえてくるような楽器編成やアンサンブルというか。あと、ひとつ思ったのは、「受け取る自由」が「歌」にはあるということでした。

─というと?

角銅:歌が人々の暮らしや心の中で、どんどん違うものに変わっていくというか。私は今、「きりん」という名の猫を飼っているのですが、家できりんを抱っこしてあやしながら、その時思いつく歌を歌ったりするのですが、そういう時って歌詞もメロディも、原曲からどんどん変わっていきますよね。記憶の中で、経験の中で、どんどん違うものになっていく……それは、「歌」という音楽の形には、受け取る側の自由があるからなのかなって。「自由」という言葉を使わずとも、そういうことが普通に起きていることが面白いなって。

─なるほど。今、お話を聞くまではインストの方が「受け取る自由度」が高い音楽だと思っていたんですけど、確かに「歌」の方が好き勝手に歌える分、どんどん変形していく自由度の高い音楽なのかも知れないですね。

角銅:そうなんです。私が今回作った楽曲たちも、歌として人の暮らしのそばにそっとあって、誰かの記憶の中で全然違うものになって、「あれ? これ誰の曲だったっけ?」みたいに、誰のものでもなくなる曲が出来たらいいなと思いました。

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