BiSHモモコグミカンパニー、いしわたり淳治に作詞とグループ論を学ぶ

左からいしわたり淳治、モモコグミカンパニー(Photo by Takuro Ueno)

BiSHのモモコグミカンパニーによる、インタビュー&エッセイ連載「モモコグミカンパニーの居残り人生教室」。6回目はいしわたり淳治氏に話を聞いてきました。

こんにちは! BiSHのモモコグミカンパニーです。今回の居残り人生教室は、な、なんと、わたしがずっと前から尊敬している人であるいしわたり淳治さんとお話ができました!

SUPERCAR解散後は、作詞家やプロデューサーなどマルチに活動しているいしわたりさんですが、私が彼のファンになったのはSUPERCARの曲がきっかけでした。一体こんな素敵な歌詞、誰が書いているんだろうと調べたところ、全ていしわたりさんの作詞でした。BiSHでもたまに歌詞を書いているわたしですが、歌詞を書いてみたいと思ったのはいしわたり淳治さんという存在があったからと言っても過言ではありません! そんな私にとって雲の上の存在ともいえるいしわたりさんとの対談ですが、お会いする前は何を話そうとソワソワしながら、漠然と作詞の話が多いかなと思っていましたが、一生続くわけではないバンドの話やグループ内でのメンバーとの距離感の話、作詞の以外でもなんとなく重なる部分のある、不思議で貴重な対談になりました。

ーBiSHがスタートして最初の段階でプロデューサーから「何曲か歌詞を書いてみて」って言われたんです。私はその作業がすごく楽しくて。大学時代も頭の片隅で歌詞を書いてみたいという気持ちがあって、当時そう思ったのはいしわたりさんの存在があったからなんですね。

いしわたり:光栄です。誰かに見つけてもらうとうれしいですよね。プロデューサーさんが声をかけてくれたことがきっかけになったわけでしょ。自分のことを振り返ってみると、中学2年生の時、自作の俳句を誉められただけで「俺は何か書けるんだ」と思ったんですよ。誰かに不意に誉められたり見つけてもらえたりすると、すごくうれしいっていうのはわかる。





ー私は歌とダンスがあまり得意ではなかったから、リハーサルでいっぱい注意されても、自分が頑張ればいいだけなので、そんなに悲しくならなかったんです。自分が得意じゃないことを自覚していたから。でも一度だけ、プロデューサーに歌詞をダメ出しされたことがあって、その時はめちゃくちゃ泣きました。歌詞を書くことにはちょっとプライドがあって。つまり自分の「悔しいところ」「負けたくないところ」はこれだ!と思って。いしわたりさんは、昔から言葉が好きだったんですか?

いしわたり:好きだったんだと思います。だけど、すごくゴリゴリの理系の学校に行っていて。国語の授業も週に1時間くらいしかなくて、その内容も先生が前日の夕刊の4コマ漫画を持ってきて、この設定と面白さを200字でまとめなさい……みたいな。レポートとか説明書を書くスキルを学んでいるだけで、いわゆる古文とか文学的な勉強を一切やったことがなくて。未だにパズルっぽく遊んでいる感覚はあると思います。

ー歌詞を書く時に一番大切にしていることは何でしょうか?

いしわたり:僕の場合は頼まれて書くことが多いので、世の中に対してどういう風に響いてほしいとか、頼んでくれる人の思いをどれだけ汲めるかってことかな。あとは頼んでくれる人たちのファンがどう聴いてくれるだろうとか。

ーアーティストさんに「歌詞を書いてください」って依頼されたらどこまで調べますか? 好きなアーティストだったらすぐに書けるかもしれないですけど、初めてその人を知った場合とか。

いしわたり:初めて依頼してくれる方の場合は時間を多くもらっていますね。それは調べるというよりも、「中に入る」っていう感覚なのかもしれないけど。その人のチャームポイントを何か見つけるまでは時間を多く使うようにしています。何回か書いている人の場合は、この間これをやったから次はこれをやろうと、引き出しはすぐに開けられるようになっているんですけど、初めての人の場合はその引き出しがないので、イメージが一定量溜まるぐらいまでは調べます。

ーライブにも行きます?

いしわたり:ライブもなるべく行くようにはしています。曲を提供してしまったら、実際にどういう風に聴かれているのかを感じる瞬間がほとんどないんですよ。ヒットしたと言われても、誰が聴いているんだろうっていう気持ちが正直あって。ライブに行かない限りわからない。うわあ、ここを合唱してくれているんだとか(笑)。

ーSUPERCAR時代と比べて歌詞の書き方は違いますか?

いしわたり:SUPERCARの時もヴォーカル2人が歌っていて自分は歌ってなかったし、その後も自分で歌うことはなかったので、ずっと同じ感じなのかもしれないです。

ーでもSUPERCARの場合は、いしわたりさんも主役の一人ですよね。メンバー4人でバンドのストーリーを作っていくというか。

いしわたり:その通り。それが今と一番大きく違うところだと思う。長年アーティストとして活動していくとファンも音楽に詳しくなっていくじゃないですか。だからその人たちをびっくりさせなきゃと思って「新しいことをやる」という発想が、作詞的にはよく言えば刺激かもしれないけど、悪く言うと雑念になるかもしれない。でも1曲単位でいろんな人に提供するのであれば、例えば変な話、クリスマス時期にクリスマスの曲を2曲書くことだってできるでしょ。でも、自分のバンドだったらクリスマスの曲をアルバムに2曲も入れられない。そういう点で作詞家のほうが自由度が高い気がする。

ーバンドの時はいしわたりさんの素の言葉が多かったですか?

いしわたり:その時に思っていることが多かったと思います。

ー私は青春時代にSUPERCARの曲を聴いていて、夢を見ていないのに、聴いていると夢を見ている気分になれるというか、この歌詞を書いた人の頭の中はどうなっているんだろう?と思ったんですよね。

いしわたり:「YUMEGIWA LAST BOY」とか?



ー「FAIRWAY」や「cream soda」も好きです。「cream soda」を書いたのは何歳ぐらいですか?

いしわたり:高校生の時に作ったから18歳。



ーすごい!

いしわたり:24年前かな。

ーその時にしか出なかった言葉って感じなんですか?

いしわたり:本当にそう。あんな感じのはもう二度と書けないと思います。

ー私もBiSHの歌詞を書いていて、一度だけ「外部の曲の歌詞も書いてみる?」って言われた時に、実際やってみたらすごく難しくて。BiSHで5年間やってきて、グループのこれまでの道筋を見ているファンの方がいるから物語がある。そのBiSHに自分が提供する歌詞は、生身の感情を書いて絞り出すことが簡単だったのに、外部の曲となるとすごく難しくて。やっぱり違うんだなって。

いしわたり:でも、物語があるっていうのは一緒なんじゃない? それぞれのアーティストに何かしらの物語があって、その物語が歌詞の行間を埋めてくっていう意味では、たぶん書き方は同じなんじゃないかな。あとは、物語が身にしみているかどうかじゃないかな。自分の中に(物語が)びっちり入ってきていたら、意外とやる作業は一緒だと思うけれど。



ー今お話を聞いていて、そう思いました。

いしわたり:僕は世の中に「いい曲」がたくさん生まれてほしいと思ってるんですけど、いい曲が多いほうが絶対に楽しいでしょ。

ーすごくいい考えですね。幸せになれる言葉です。いしわたりさんは作詞家でありプロデューサーで、プライベートではお父さんですよね。どの時が一番楽しいですか?

いしわたり:一番楽しいのはお父さん。作曲家とかアレンジャーとか、音楽を作る人ってたくさんいますよね。あとはライブイベントを企画する人とか、エンターテイメントの仕掛け人とか、そういう人たちは仕事が楽しくて仕事三昧でカッコいいと思うんだけど、こと作詞家になったら、普段の暮らしをちゃんとしていたほうが言葉ってちゃんと“ここ”にある感じがするんだよね。

ーなるほど。

いしわたり:僕はそれを“手応えのある暮らし”って言ってるんだけど、みんな手応えのある仕事を欲しがるじゃないですか。で、プライベートが疎かになるけど、作詞家は人間らしく暮らすことで、生活の中で何かひとつ、こんな風に感じるんだなって自分で気づけたりするほうが、仕事にちゃんと返ってくるような気がする。で、一番人間らしいと言えば子供と過ごす時間になるかなと。

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