江沼郁弥が語る、ソロになって1年で得た逞しさと弱さへの対峙

・ノリ方とか、お客さんとしての礼儀なんて、自分はライブを観るときに考えたこともなかった。

—それまでの江沼さんのライブの方法論とは別の場所に辿り着いた感覚があるわけですよね。

江沼:そうですね。なんというか、作品を出してライブをして……っていう、音楽活動の定型ってあるじゃないですか?

—リリースして、プロモーションして、ツアーを回ってっていう。

江沼:そうそう、僕もバンドの頃はそうだったし、非難するつもりはないんだけど、そのやり方だと、お客さんを決められたレールに乗せて走ってしまっている感じがして……「これでいいのかなぁ?」っていう感覚がずっとあったんですよね。plentyの頃に、お客さんに「江沼さんは、ライブ中にお客さんが声を上げたり、腕を挙げたりするのはイヤですか? どうしたらいいですか?」って訊かれたことがあったんです。それが、すごくショックで。「そんな思いをさせていたのか」って。

—確かに、それはちょっと考えてしまいますね。

江沼:「自分たちのやり方は、お客さんをレールに乗せてしまっているのか?」って。ノリ方とか、お客さんとしての礼儀なんて、自分はライブを観るときに考えたこともなかった。もし、僕がお客さんの立場だったら、まるで自分も一緒に演奏しているような感覚になって、スリリングな演奏が成功したら、客である自分も喜べるようなライブ体験をしたいなと思うんです。僕は作品の再現をしにツアーに出ているわけではないし、セットリストの組み方も含め、これまでの経験値を、木のメンバーに振りかざすようなこともしたくない。そういうところで感じる責任もありますね。

—一緒に演奏するメンバーに対する責任ですね。

江沼:気を遣っているわけではなく、彼らが自由になって爆発すると、自分にもいいエネルギーが返ってくるんですよ。具体的にカッチリ指示してほしいタイプの人もいると思うんですけど、木のメンバーたちは、まったくそうじゃない。彼らを自由にさせてあげるために、自分が誘導していかなきゃいけないし、それが今の自分の責任というか、任務だと思っていて。

・今の時代に生きていると、自分の中に静かな場所や穏やかな場所を持つことが、本当に難しくなっている。

—「責任」という言葉が多く出てくるのが、やはり2019年の江沼さんを表しているんですね。

江沼:でも、いざセッションが始まると、もう完全に無責任な状態なんですけどね(笑)。曲が自分の手から離れて、まったく知らない状態になっていくのが、すごく楽しいです。

—「どうしたらいいですか?」と訊いたファンの人の気持ちに少し立つと、plentyの頃から江沼さんの歌には、集団から離れた場所にいる個人っていう感覚が強く滲んでいたと思うんですよ。どこか、孤独を望んでいるように思えるというか。だからこそ、江沼さんがお客さんと一体となるような現象を求めていることを、意外に思う人もいるのかもしれないですよね。

江沼:あ~、いるでしょうね。でも、なんだろう……僕、最近、村を作りたいんですよ。

—むら?

江沼:村長になりたいんですよ、僕(笑)。それは別に、むやみに繋がりたいっていうことではないんだけど、ただ、自分がものを作っているのはあくまで自己表現だし、やっぱりどこかで「人に届いてほしい」と思いながら作っているから、もっと深いところでコミュニケーションがとりたいというか……ちょっと話がズレるかもしれないですけど、僕、聴覚過敏らしくて。

—ほお。

江沼:東京の街にいるのが、うるさくて耐えられないんです。情報の多さにも耐えられない。だから最近、すごく静かなところに行きたくて。自分の中に、静かなものを持っていたいというか……「村」っていうのは、そういう意味でもあるんですよね。人が、自分の中の穏やかさを繋ぎとめておくためのハブみたいな場所としての「村」。だから、「村を作りたい」っていうのは、自分本位な気持ちから生まれているものではあるんです。でも、みんなにもそういう静かなものがあったらいいなって思うし、自分の音楽がそういう場所であったらいいなと思う。

-うん、わかります。

江沼:今の時代に生きていると、自分の中に静かな場所や穏やかな場所を持つことが、本当に難しくなっているなって思う。結局、自分にとって音楽を作ることは、自分の内側を見つめて、自分を知っていくことだから、僕の場合は、そういう静けさみたいなものを自分の中に見ていないと、パニック状態になってしまうんです。自分が社会のどこに存在しているのか、わからなくなる。それがしんどいというか、頭おかしくなりそうなんですよ。

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