プログレ史上最高のドラマー、ビル・ブルーフォードが語るイエス、クリムゾンと音楽家人生

1981年、キング・クリムゾン在籍中のビル・ブルーフォード(Photo by Paul Natkin/Getty Images)


ーロック・ドラマーの間では、本当はジャズをプレイしたいというのが決まり文句のようになっています。ところが実際は、あなたのように本格的かつ長期的に転向できるドラマーは稀です。アースワークスを結成した当初の、腰掛けやリップサービスなどでないという確固とした決意表明はあなたにとって重要だったでしょうか?

ある意味重要だった。単なる道楽半分のパフォーマンスなど誰も見たくない。仲間たちや広くジャズミュージシャンに対する侮辱だし、失礼だ。古いことわざにあるように、湖の対岸へ行きたければ、こちらの岸を離れて向こう岸へ渡らねばならない。両岸に脚をかけておくことはできないのだ。

しかし、アンダーソン・ブルーフォード・ウェイクマン・ハウというイエスのスピンオフバンドによる本格的なロックのツアーを終えた後、アースワークスを立ち上げ、さらにパトリック・モラーツ(Piano)、ミケル・ボルストラップ(Piano)、デヴィッド・トーン(Gt)、トニー・レヴィン(Ba)などお気に入りのアーティストたちと共演した時期もある。つまりロックとジャズとを行き来していたんだ。二足のわらじを上手く表現した俳優のショーン・コネリーの話がある。彼はハリウッドへ進出しジェームズ・ボンドを演じて大金を稼いだが、その後もしイギリスへ帰国してロイヤル・シェイクスピア・カンパニーに出演したとしても、その給料は犬の餌代の足しにもならないだろうという。これこそ正に、二足のわらじを3週間以上続けようと目論むミュージシャンが知っておくべき収支勘定だ。つまり片方でもう一方を補うということだ。

ーアースワークスに関して興味深いのは、バンドに参加した初期のメンバーのほとんどがビル・ブルーフォードについて知らないか、あるいはイエスやキング・クリムゾンの作品を聴いたことのなかった状況を、あなた自身が楽しんでいるようだったことです。

(笑)本当に愉快だった。そんな状況を驚く人もいるだろう。だが私自身にとっては特に驚きでも何でもなかった。普通ジャズ畑の人たちは、大きなスタジアムでのロックなど研究したりしないからね。ロックについての知識もほとんどない。他のことで手一杯なんだ。クラシックの音楽家についても同様で、彼らはジャズについてほとんど知らない。依然としてはっきりとセグメント化された世界だ。



ーアースワークス初期の活動で注目すべきだと思ったのは、『Red』時代のキング・クリムゾンとは対照的に、陽気さや喜びが感じられたことです。あのように明るくしたのは意図的だったのでしょうか?

いや、自分から要求したことはない。メンバーを集め、ただこう言うだけだ。「よし、バンドを組んでみよう。曲はこんな感じだ。私がエレクトリックドラムでリードするよ。エレクトリックパッドでコードやハーモニーを表現してみたいんだ。君たちがそこに単音を乗せてくれると、少なくとも今までにないユニークなサウンドになるだろう。打楽器に対する感覚は皆それぞれだし、バックグラウンドもさまざまだからね」という感じさ。そうして皆が同じ目的へ向かってスタートした。

「明るく楽しくやった方がいいだろ?」などと言った覚えはない。でもメンバーは陽気に楽しんでいた。彼らは悲哀や憂鬱をさまざまな方法で表現した。例えばイアン・バラミー(Sax)は、アースワークスの1stアルバムに収録された「It Needn’t End in Tears」で美しいバラードを聴かせた。正に叙情詩的な叫びだった。またアルバム『All Heaven Broke Loose』の「Candles Still Flicker in Romania’s Dark」はジャンゴ・ベイツ(マルチプレイヤー)による作品で、(ニコラエ・)チャウシェスク政権下で増加した両親も何もない孤児院の子供たちをテーマにしている。とても酷い状況で、当時は毎晩テレビのニュースで流れていた。これはジョン・ウェットンが「One More Red Nightmare」(キング・クリムゾン『Red』収録曲)で聴かせた表現方法とも異なる。ジャンゴはまた違った感性を持ち、とても繊細で美しい曲に仕上げた。つまり、私から彼らにこうしてくれと要求した訳ではないのだ。メンバーそれぞれが自分なりのやり方を見出してくれればバランスが取れる。U.K.のように、常にメンバー間に緊張感が漂って長続きしないバンドにはならない。




ー自叙伝では、アースワークス結成時の状況についても語っています。あなた自身はジャズのギグを続けたいと思う一方で、イエスのアルバムへの参加依頼もありました。どうにかして周囲の圧力から脱し、自分の意志でアースワークスを結成するに至ったターニングポイントはありましたか。また、それにはどれ位の時間がかかったでしょう?

はっきり言ってよくわからない。何事にも時間がかかるのは間違いない。アメリカの素晴らしき友人たちのキャラクターによる、と言った方がいいだろう。一般にアメリカでは、自分は上手な野球選手だというレッテルを一度貼られると、「野球は大好きだが、私はテニス選手なんだ。テニス選手としての私を好きになって欲しい」と突然宣言しても通じない。アメリカでは一度受け入れられると、それも大いに気に入られると、自分が変わりたいと思ってもまったく受け入れられない。その点ヨーロッパでは少し状況が違うと思う。こちらでは、相手に対してまるで今晩初めて出会ったかのように扱う。

とても大雑把な一般論になるが、アメリカでは一度自分の地位を確立すると、大金持ちや美しく若い女性たちにちやほやされて持ち上げられる。いい気分だが、同時に束縛も受ける。ミュージシャンも同じだと思うが、私は気にしなかった。私は喜んで『Close to the Edge』のアルバム制作に参加したし、周りがそう呼びたいのであれば、イエスの元ドラマーと言われることに違和感もない。私としてはどうでもいい。自分がやっていることに自信を持っているし、何と呼ばれようが自分のやり方を大きく変える気もない。



ーアースワークスの全作品の中でも、後期のアコースティックバンドが気に入っています。無駄なものが削ぎ落とされて生き生きしているように感じます。バンドリーダーとして中心的立場に近づいていく中で、そのように感じていましたか?

そうだね。中心というのは動き続けるから、常に近づく努力をしなければならないのだと思う。個人としては常に学び続け、目標へ向かって変化を続ける必要がある。大きく行ったり来たりするものだろう。力強いアコースティック音楽をやっている時は、デイヴ・ホランドの『The Razor’s Edge』みたいな演奏に魅了されていた。それに、アコースティック音楽にヘヴィなドラムセットを入れることができるとは思わなかったんだ。そうなると強力なベースプレイヤーが必要になる。(アースワークスの)マーク・ホジソンのようなアップライトベース・プレイヤーが、厳しい状況の中でもがんばる姿は、素晴らしい。だからこそ私もその時期のアルバムは気に入っている。『The Sound of Surprise』はお気に入りのひとつだ。このアルバムは聴いたかい?

ーもちろん。素晴らしい作品です。

私もとても気に入っている。セールス的には振るわなかったし、あまり注目されなかった作品だ。同時期に別のビッグヒットがリリースされたんだろうと思っている。それでも自分のお気に入りの一枚であることに変わりはない。その時期のバンドも好きだった。素晴らしかった。また当時のアメリカのエージェントだったテッド・カーランドも良かった。

Translated by Smokva Tokyo

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