プログレ史上最高のドラマー、ビル・ブルーフォードが語るイエス、クリムゾンと音楽家人生

1981年、キング・クリムゾン在籍中のビル・ブルーフォード(Photo by Paul Natkin/Getty Images)


ーあなたの自叙伝によると、アルバム『Close to the Edge』制作中のスタジオでのやり方に飽き飽きしていたように感じます。一方で『Fragile』の頃はバンドに満足していたようです。

(笑)私が満足することは滅多にないからね。アーティスト的な使命感から満足感を得られるという訳でもないと思う。クリエイティブな人間は少しでも前進していないと満足感を得られない。だから私は何かが遅すぎると感じた時は、まるで馬のようにイライラする。私は先を急ぎすぎているとよく言われる。もっとスローダウンすべきなのだろう。イエスのペースに合わせてゆっくり待つべきだった。キング・クリムゾンの時もそうすべきだったろうか。いや、私がキング・クリムゾンから追い出されたのだ。あるいはキング・クリムゾンの方が崩れていったのかもしれない。今から思えば、自分はすべきことをしている。自分は自分なのだ。『Close to the Edge』が完成に近づくにつれ、他のメンバーのやり方に我慢ならなくなっていった。クリス・スクワイアがベースのチューニングを始めたんで、ソファで眠って午前3時頃に起きてみると、彼はまだ次の弦をチューニングしていた(笑)。

その頃私は21か22になっていて、もうたくさんだという感じだった。それまで私が共演したプレイヤーはたった4人で、イエスと一緒にやっている間に他で演奏したのは1度か2度しかない。とにかく私は未熟だったから、どんなジャンルの誰と共演しても勉強になった。『Close to the Edge』の終盤はそのように感じていた。他のメンバーはまた長い時間とお金をかけて次の作品を作ろうとしていたが、私は永遠に同じことを繰り返すのが嫌だった。だから私は当然、その場を去った。離れて良かったと思う。



ー若者にしては大人の決断だったと思います。芸術よりも安定した生活の方を取ろうと考えたことはありませんか?

私はとてもロマンチックな人間だった。多くのアーティストについて読んだし、芸術のためなら苦しみも厭わない。おそらく馬鹿げた考えだが、私は愚かな人間でもない。とにかく私は2枚の素晴らしいヒットアルバムに関わることができ、印税も入って来るはずだったが、実際にお金になるまでには解決すべき多くの法的問題があった。最終的に多くのお金が入ってきたが、それまで私は未払いに対してひとことも文句を言わなかった。正直言って少しばかり恐怖ではあったが、来年は今年よりも稼いでやろうと常に考えていた。たしかにその時は上昇気流に乗っていたと思う。「キング・キリムゾンも良いプレイをするし、観客も多いぞ」という感じで、当時はあまり深く考えていなかったんだ。

ーイエスを離れるにあたって『Close to the Edge』で得る印税の半分を後任のドラマーであるアラン・ホワイトに譲らなければならなかった、というショッキングな話が自叙伝で語られています。

その通り。そうするように言われた。「それで円満に行く」とマネージャーが言ったんだ。だからそれに従った。アランとは良い友だちだし、彼は素晴らしいドラマーだ。約40年後、彼に「アラン、良い取引だったな。私がレコードを作り、君は素晴らしい演奏で世界中にそれを披露してレコードを生かし続けた。その上で私は君に印税の半分を渡した。差し引きゼロということで私が支払った半額の返済を要求したらどうだろう? お互いにとって良い取引だったしね」と言ったんだ。すると彼も本物のジェントルマンで、「そうだね。レコードの半分は君のものさ」と答えたんだ。

ー素晴らしい。

いい話だろ?

Translated by Smokva Tokyo

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