プログレ史上最高のドラマー、ビル・ブルーフォードが語るイエス、クリムゾンと音楽家人生

1981年、キング・クリムゾン在籍中のビル・ブルーフォード(Photo by Paul Natkin/Getty Images)


ーイエスのデビューアルバムから今年で50年になります。当初からバンドのトレードマークとなるサウンドの基本となる要素が既にできあがっていたことに感銘を受けました。『Close to the Edge』とまでは行きませんが、ロック・ミュージックにおいてとても複雑かつ先進的な音でした。いったいどのように初期の段階からそのようなサウンドを確立したのでしょうか?

はっきりとはわからない。ジョン・アンダーソンのお陰じゃないかな。彼はたしかハンス・クリスチャン・アンダーソンとかいう名前でしばらくポップシンガーをしていたと思う。それが上手く行かずに彼は考えた。「もっと冒険的な音楽を作ろう。とにかく自分が作りたい音楽を。クラシック音楽の要素も入れよう。バンドを結成してビーチ・ボーイズのように歌い、フィフス・ディメンションをカバーするんだ」ってね。

多くの人は、イエスがカバーバンドだったことを忘れているのではないだろうか。当時お決まりのビートルズの曲や、クロスビー&スティルス、フィフス・ディメンション、時には『ウエスト・サイド・ストーリー』などのカバーから始まったんだ。我々には共通のレパートリーというものがなく、それらの楽曲を覚えていった。ブラック・サバスをはじめとする多くのバンドがバーミンガムの同じ街や、デトロイトなどから出てきた。その点、我々はまったく違っている。イギリスのまったく違う街のまったく異なるカルチャーがバックグラウンドだった。だからリズム&ブルーズをベースとした当時流行りの音楽カルチャーとは一線を画していたんだ。我々は何かを習得してそれをアレンジし、その過程でオリジナリティを確立していった。



ーイエスのオリジナル作品の中に、躍進のきっかけとなった楽曲はありますか?

あると思う。我々はよく、最高とは言えないがまあまあの出来のオリジナル曲をいじくり回していた。長い間考えていたんだが、本当の意味でバンドの原型が出来上がったのは、アルバム『Fragile』(1971年)に収録された「Heart of the Sunrise」だったと思う。この楽曲にはすべてが詰まっている。『Close to the Edge』やその他の自分たちの作品を凝縮したような曲だった。8分かそこらの曲でも、自分たちにとっては長い曲だと思えた。ドラマチックで荘厳な曲で、どこか非現実的でもある。そして、やや女性的なボーカルによるイギリスの牧歌的な歌に展開する。ありとあらゆる断片がひとつに収めされていた。荒削りだが、すべてがここにある。「Roundabout」の方が、例としてはふさわしいという意見もあるだろう。いずれにしろ我々は、この2曲をきっかけに独り立ちできるようになった。



ーイエスの初期のアルバムでのあなたの演奏を聴くと、ジャズに傾倒していたことがよくわかります。ロックにジャズの要素を意識的に取り込もうとしていたのでしょうか?

私はこれしかドラムの演奏方法を知らない。他に選択肢がないんだ。これ以上ハードに叩いた経験もないし、テキサスのリズム&ブルーズのドラマーのように演奏したこともない。レコードで聴いたことのあるドラマーたちのプレイをミックスして、自分のスタイルを確立したんだ。バンドのメンバーも自分自身もそれが気に入ったし、自分が興味あるものすべてを取り込んだ。こうしなければならないというものはなかったし、すべてが完全にオープンだった。ドラムでは、自分の求めるものすべてを表現できると思っていた。

どれほど我々が純粋だったか、どれだけ我々が若かったか、どれだけ早く物ごとが進んでいったか、どれだけ早く我々が学んでいったかを説明するのは難しい。当時は「グルーヴ」について語る者はいなかったし、グルーヴなどという言葉も存在しなかった。いつそんな言葉が生まれたのかは定かでないが、きっとアメリカから来たのだろう。このイギリスでは、グルーヴが話題に上がることはなかった。我々は今でもグルーヴというよりも「スウィング」しているんだ。

ー特徴的なスウィングは、あらゆる世代のイギリスのロック・ドラマーたちに共通しているように思います。1968年にイエスは、ロイヤル・アルバート・ホールで行われたクリームのフェアウェル・コンサートでオープニングを務めました。ジャズとロックとの融合という意味では、ジンジャー・ベイカーから影響を受けたでしょうか?

たしかに影響を受けたし、彼のプレイスタイルは大好きだ。彼はとにかく凄くて、サウンドもビッグで厚みを感じる。アート・ブレイキーのように、彼のドラムは人を感動させられる。腹に響いて来るんだ。とても素晴らしい。惚れ惚れする。それに比べると、当時流行っていたリヴァプールやイギリス北部のビート・ドラムなどは軟弱に聴こえる。だから若い頃は、たしかにジンジャー・ベイカーに憧れた。大きめのライド・シンバルを90度にセッティングし、タバコを口にくわえながらプレイするスタイルを真似たいと思った。彼はとても重要な存在だった。

ー彼とは直接の知り合いでしたか?

いいや。でも彼のことは知っている。話しかけるには畏れ多い存在だった。彼とは顔見知りではあった。彼の方も、このガキが誰だか少しは知っていただろう。自分が15、6歳で相手が21歳だと、大きな隔たりを感じるものだ。しかし彼のプレイは好きだったし、60年代半ばの彼はとにかく凄かった。だから彼が亡くなってしまって残念だ。とはいえ、彼はとても気難しい人間だったろうと思う。

Translated by Smokva Tokyo

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