プログレ史上最高のドラマー、ビル・ブルーフォードが語るイエス、クリムゾンと音楽家人生

1981年、キング・クリムゾン在籍中のビル・ブルーフォード(Photo by Paul Natkin/Getty Images)


ー最後に本格的にドラムを演奏したのはいつのことですか?

10年前だ。正確に言うとそれは正しくないな。引退した年にモータウンの曲をいくつか演奏した。モータウンの音楽をやるのは、とにかく楽しい。地元でモータウンのバンドを組んで、数週間楽しんだ。わずか2、3回だったがプライベートなイベントもやった。ホーンやら何やらを集めた9ピースのバンドで、シンガーたちも凄かった。素晴らしかったよ。

ただそれ以降は、一切演奏していない。おかしいと思う人も多いかもしれないが、自分としてはまったく違和感がない。

ーお気に入りのモータウンの曲は何でしょうか?

(笑)どうかな……「(I Heard It Through The)Grapevine」かな。マーヴィン・ゲイのバージョンだ。とにかく凄い曲だ。



ー最新のボックスセットは、1987〜2000年代中頃までのアースワークスをカバーしています。でもティーンエイジャーの頃からジャズにも深く傾倒してきましたよね。当時はジャズプレイヤーを目指していたのでしょうか。もしかしたらロックにまったく関与しないこともあり得たと思いますか?

ロックかジャズかなどと自分がはっきり考えていたかどうかは、定かでない。たしかにロックは流行っていた。イギリスでは当時、いわゆる「ビート・ミュージック」が流行っていた。スウィンギング・ブルー・ジーンズなどリヴァプールのミュージシャンやビリー・J・クレイマー、それからもちろんビートルズも。私の周りには大人が多く、リヴァーサイド・レコードの作品などをカリフォルニアから輸入していた。そう、(アート・)ブレイキーや(マックス・)ローチなどだ。それまで聴いていたものよりずっとエキサイティングだった。私は聴いてすぐに、ドラマーがどう演奏しているかを理解できた。今でもポピュラー・ミュージックでよく使われる反復の技法には慣れない。そしてジャズとは対照的な存在のいわゆるロックやポップには、インタラクションが欠如している。だから自分の好みはすぐに決まった。

ところが1968年、すべてが変わった。節目となった年だ。とても重要な年だった。ロニー・スコット・ジャズクラブでジミ・ヘンドリックスがローランド・カークと共演するのを観た時は、シャツを剥ぎ取りたくなるほど興奮した。新しい何かが生まれていたが、私自身はそれが何か分からなかった。ロックやジャズで食べていくということが何を意味するのか、当時は理解していなかったんだ。まだ16か17歳くらいでイギリスのクラブに通っていたし、自分の職業について真面目に考えたこともなかった。もしもその頃私がドラマーになりたいなんて言ったら、父親は激怒していただろうね。

Translated by Smokva Tokyo

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