ザ・クラッシュ、パンクを未来につなげた名盤『ロンドン・コーリング』40年目の再検証

ザ・クラッシュ『ロンドン・コーリング』(Courtesy of ソニー・ミュージックジャパンインターナショナル)

『ロンドン・コーリング』は後世に何をもたらしたのか? 先ごろ刊行されたムック『ザ・クラッシュ  ロンドン・コーリング』(監修:本田隆 シンコー・ミュージック刊)の編集を担当した荒野政寿が、同書に収録された貴重発言も交えながら永遠の名盤を再検証。

ザ・クラッシュの3rdアルバム『ロンドン・コーリング』が1979年12月にリリースされてから、40年の月日が流れた。アニバーサリー・イヤーを祝して、ロンドン博物館が11月からクラッシュをテーマにした回顧展を開催。11月15日にはメモラビリア満載のスクラップ・ブック付き限定盤を含む仕様で、『ロンドン・コーリング』40周年記念盤も世界同時発売されたところだ。



1989年にローリング・ストーン誌が「The 100 Greatest Album Of The 80’s」の第1位に選出、“傑作”という評価を揺るぎないものにしてきた感がある『ロンドン・コーリング』だが、リリースされた当時のチャート・アクションは全英9位、全米27位と、実は大ヒットとは言い難いセールスに終わっている。ことイギリス国内での反応は複雑で、それまで社会的なテーマを扱うパンク・ロック・バンドとして時代の先端を邁進してきたクラッシュが、本作でルーツ・ミュージックへの回帰を示したことに、戸惑いの声が上がった。「アメリカナイズドされ過ぎ」という具体的な批判も浴びている。彼らの試みは79年当時のイギリスでは、軟化、あるいは退行と捉えられ、すんなりと受け入れられなかったのだ。

しかしシンプルなパンク・ロックから出発したバンドの多くが新たな展開を求めて試行錯誤していた79年に、メンバーのルーツを改めて見直し、現代的な解釈で再定義を試みたクラッシュは、ここでよりエクレクティックなロック・バンドへと大きな進化を遂げる。ロックンロールからレゲエ、ジャズまで躊躇することなく手を伸ばしたことで視野が一気に広がり、より野心的な『サンディニスタ!』『コンバット・ロック』へと至る道を切り拓くことができたのだ。


Photo by Pennie Smith

彼らがただただ音楽的興味と興奮に身を委ねながら『ロンドン・コーリング』を構築していく過程は、25周年エディションに収録されたデモ音源集『ザ・ヴァニラ・テープス』に刻まれている。スタジオでのジャムでアイディアをぶつけ合い、4人が一丸となって練り上げた結果、残ったのはバラエティに富んだ粒揃いの19曲。それをLP2枚に詰め込み、「1枚+ボーナス盤」であるという説明でレコード会社をまんまとあざむいて、通常のシングル・アルバムと変わらない価格でキッズに提供するという離れわざまでやってのけた。ロックンロールの拡張を遂行すると共に、“常にキッズ側にあり続ける”という哲学を有言実行したアルバムでもあったのだ。

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