ザ・クラッシュ、パンクを未来につなげた名盤『ロンドン・コーリング』40年目の再検証

振り返ってみると、基本的にいつもジョーの話になっていたと思う。彼のスピリットに触れるには、再上映が始まったドキュメンタリー『レッツ・ロック・アゲイン!』を観てもらうのが一番わかりやすいが、あれは彼個人をテーマにした作品で、ジョー=クラッシュではもちろんない。



本書用の取材で、映画『RUDE BOY』にも出てくる元ロード・マネージャー、ジョニー・グリーンにインタビューして印象深かったのは、79年当時の人間関係に関するこんな発言だ。「僕ら自身は、皆対等で同じ位置にいると思っていたよ。外から見るとクラッシュはジョーのバンドで、ジョーが中心人物だと思われていたし、今もそう思われているだろう」。あらゆる局面でバンド代表として矢面に立たされるようになり、ジョーのストレスは増すばかりだった。それでもジョー・ストラマーという“役割”を引き受け、ファンを楽屋や打ち上げ会場にまで入れてしまうなどの直接的な触れ合いを続けたのが、ジョーという人であった。

初代マネージャー、バーニー・ローズと決裂してメンバー自身がマネージメントを牛耳っていたこの頃、バンドは順風満帆とは言えない状況に直面していた。「(アメリカ・ツアーから戻ってくると)ロンドンでは少し忘れられた感さえあった。レコード会社は金銭的なサポートをしてくれないし、バーニーとの争いで銀行口座は凍結されていた。NYやLAを大型バスで移動していたのに、帰ってきたらロンドンの地下鉄に乗ってリハーサルに行くなんてさ。ギャップが凄いよね」。

バーニーと揉めたせいでリハーサル場所すら失い、思うように活動できずにいたバンドが、ここで一念発起。制作の初期段階から「皆の膨大なアイディアは沸騰状態だった」と、ジョニーは証言してくれた。今では問答無用の名盤である『ロンドン・コーリング』が、実は逆境からひねり出された作品であったことは、もっと語られてもいいだろう。

DJ/映像作家としてクラッシュに寄り添ったドン・レッツにも取材することができた。『ロンドン・コーリング』を「成長することを恐れず、パンク・ロックを未来につなげた作品」と位置づけるドンは、「パンク・ロックはモヒカン、安全ピン、革ジャンではなくて、スピリットとアティテュードだってことを身をもって示していた」と、同作の重要性を説明する。つい先日も、自身が監督したクラッシュのドキュメンタリー映画『Westway To The World』の上映イベントをロンドンで開催、ゲストとしてミック・ジョーンズ、ポール・シムノン、ジョニー・グリーンが駆けつけ、ファンを喜ばせたばかりだ。


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