JAGATARAと江戸アケミの音楽は、30年後の腐敗しきった日本でどのように響くのか?

JAGATARA(Courtesy of ソニー・ミュージックダイレクト)



「もうがまんできない」に限らず、江戸アケミはメッセージを直線的な表現方法で叩き付けることは避けていたように思われる。危機意識は強いが、だからこそ、どうしたら伝わるかを考えねばならない。80年代の始まりとともに現れたJAGATARAは、英国のイアン・デュリー&ザ・ブロックヘッズやポップ・グループ系のバンドを思い浮かべる要素もあり、当初はパンク〜ニューウェイブと連動するバンドと考えられていた。だが、ロック・バンドの性急さよりも、ダンス・ミュージックの持続性や祝祭性の中にメッセージを織り込んでいく手法をJAGATARAは選び取っていく。

OTOの参加を経て、レコーディングされた1982年の1stアルバム『南蛮渡来』に収録の「クニナマシェ」は象徴的な1曲だった。ワンコード、ワンリフの変化しない演奏が9分以上も続く、呪術的とも言っていいムードを持つ曲だが、最も印象的なのは中盤、アウトオブキー気味に飛び込んでくる子供達の声。「ぼくたちは光の中でチャチャチャ」というコーラスだ。子供達に希望の光を見るのは、その後のJAGATARA作品の中にもしばしば立ち現れる光景となる。



1983年頃から江戸アケミは精神疾患に陥り、療養に長い期間を要した。バンドが活動再開したのは1986年。翌1987年に発表された『裸の王様』ではアフロ・ファンク的な長尺の演奏がバンド・サウンドの基調となった。時代的なことを振り返ると、ナイジェリアのキング・サニー・アデがアイランド・レコードからデビューし、世界的に話題を集めたのが1982年。1985年にはアデの来日もあり、アフリカ音楽への関心が日本でも急速に高まった時期を経ている。JAGATARAのメンバーもそこから大きな刺激を得ていたのは間違いない。テレキャスターを弾くOTOがアデと同じような足捌きで、ステージを走り回っていたのを思い出す。アデのアイランド盤のエンジニアリングを手掛けたゴドウィン・ロギーは、1989年の『それから』以後、JAGATARAのエンジニアを務めることになる。

アデ以上にJAGATARAの音楽に大きな影響を与えていたのはナイジェリアのフェラ・クティだ。フェラのアフロ・ビートを引き継ぐバンドは、現在では各所に存在しているが、80年代半ばにはまだJAGATARAのような存在は世界的にも希有だったろう。加えて、この2019年に意識せざるを得なくなるのは、フェラの音楽の背景にあったナイジェリアの政治状況だ。フェラはその活動期間のほとんどを軍政との闘いに費やした。圧政、不正、腐敗、経済の悪化、そして一部富裕層のみが肥え太るナイジェリアの社会状況をフェラの音楽は撃ち続けた。そのために、フェラは何度となく陥れられ、投獄された。警察や軍による襲撃も受けた。

80年代にもそうしたフェラ・クティの音楽の背景を知らずに聴いていた訳ではない。だが、テキストで知るだけで、肌身に感じることはなかった。圧政、不正、腐敗、経済の悪化、一部富裕層のみが肥え太る社会状況が、この日本で、自分達の眼前で展開する日が来るとは想像もしていなかった。



1987年の『ニセ予言者ども』収録の「ゴーグル、それをしろ」では、江戸アケミは「そうさ、もうすでに始まっているのさ」と歌っていた。一体、何が始まっていると江戸アケミは考えていたのか。同じ歌の中から幾つかの言葉を拾ってみる。

「お前らのしてる事はつじつま合わせ」

「みんな何かに ふりまわされているのさ 幻想という、在りもしない怪物に」

「何ぼのもんじゃい、原子力発電所が」

小説家というのは炭坑のカナリアのようなものだ、と言ったのはカート・ヴォネガット・ジュニアだった。迫りくる危険を予知して、先に声を上げるのだと。それは江戸アケミというソングライターにも言えるのではないか。原発事故が起こった後の世界で、そう考える僕がいる。

だが、この曲が収められたアルバムのタイトルは『ニセ予言者ども』なのだ。「何ぼのもんじゃい、原子力発電所が」に続いて、「何ぼのもんじゃい、音楽が」とも江戸アケミは叫んでいる。予言的な言葉を残した芸術家という枠に江戸アケミを入れ、ある種の神格化とともに納得するのも違うのではないか。彼は彼で、泥臭い葛藤の中であがき続けていた。今だからこそ聴き取れる、その葛藤に触れることが、この2019年にJAGATARAを聴くことの意味なのではないだろうか。そんな風に考える僕もいる。

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