NARASAKIが明かすCOALTAR OF THE DEEPERSの変遷

コンセプトは「ネッズ・アトミック・ダストビンとダイナソーJr.を足して2で割ったような音楽」

─いろんなところで話していらっしゃいますけど、コンセプトは「ネッズ・アトミック・ダストビンとダイナソーJr.を足して2で割ったような音楽」だったと。

NARASAKI:「悲しいネッズ・アトミック・ダストビン」とかね(笑)。特に1stはそんな感じでした。

─海外志向も強かったそうですね。当時、スワーヴドライヴァーのオープニング・アクトを務めていましたけど、それも海外まで行って取り付けたとか。

NARASAKI:友人の三浦イズルがやっていたシークレット・ゴールドフィッシュというバンドが、来日したラッシュの前座を務めていて。それはイギリスの4ADまで行ってアイヴォ(・ワッツ=ラッセル)に直談判したっていう話を聞いたんですよね。それを俺たちは真似しただけなんだけど(笑)。



─そうだったんですね。

NARASAKI:ただ、未だに覚えていることがあって。当時『DOLL』の取材を受けていたとき、スワーヴドライヴァーが来日する話になって。俺が「そうなんですか? 好きなんですよ。『前座やらせてくれ』って本人に言いに行こうかな」と言ったら、そのインタビュアーに鼻で笑われたんですよ。それでものすごく火がついて、勢いでイギリスまで行っちゃったんですよね(笑)。あの頃は「舐められたくない」という気持ちが強かったのだと思う。ただ、あのときに鼻で笑われた悔しさがモチベーションになり今につながっているのかと思うと、「おかげさまで」っていう気持ちでもあるんですよ。

─COTDを一緒に始めたドラマーのKANNOさんは、NARASAKIさんにとってどんな存在ですか?

NARASAKI:彼がCOTDで、彼以外では成り立たないんじゃないかなと思う。そのくらい個性的なドラマーだと思っています。一時期は「自分の声がCOTD」と定義していたこともあったんですけど、やっぱり2人で作り出すものがCOTDなのだなって。それだけ重要な存在ですね。それに、彼が俺に対して辛抱強かったからこそ、ここまで続けてこられたとも言える。

─(笑)。作品でいうと、COTDにとってのマイルストーンはどれになりますか?

NARASAKI:時間をかけたのは2枚目の『SUBMERGE』(1998年)と6枚目の『Yukari Telepath』(2007年)。2年以上かけて作ったものなので、そのときなりに突き詰めた感はありました。その合間にあった3枚(2000年『COME OVER TO THE DEEPEND』、2001年『NO THANK YOU』、2002年『Newave』)は、そのときにあった力を出した感じというか。



スキルに伴って時間がかかっていく、ということなのかも知れないですよね。細部が見えるようになってくると、そこへのこだわりも生じるし、時間をかけたくなってしまう。今回の新曲「HALF LIFE」も、ミックスに9カ月くらいかかっちゃって。



─そんなに?(笑)

NARASAKI:それはまあ、行ったり来たりのスパンが長かったというのもあるんですけど。

─ソングライティングよりも、ミキシングの方が時間かかりますか?

NARASAKI:かかりますね。今はDAWの種類やWAVのフォーマットを変えてみるなど、曲調というより質感を求める旅をしている感じです。それは、昨年リリースした「SUMMER GAZER ’92」もそう。あの曲は「高域のノイズをどれだけ綺麗に聞かせるか?」というところにすごくこだわっていました。

ただラテンを基調とした楽曲だったので、そこの境界線が難しくて。空間系のサウンドに寄せすぎるとダンスミュージックとしての音像が崩れていくし、逆もまた然り。中間を狙っていくのにものすごく時間がかかりました。

─それってNARASAKIさんの頭の中に、明確な音像があってそれを具現化させているのか、あるいはトライ・アンド・エラーを繰り返しながら、「正解」を見つけていく作業なのか、どちらに近いですか?

NARASAKI:トライ・アンド・エラーですね。WAVのフォーマットを、どのDAWで作成したりコンバートしたりすべきなのか……そういう質感の実験に、何時間も何日もかけています。

─それは、リスナー側のリスニングスタイルが変化してきていることも関係していますか?

NARASAKI:あ、それはない。あくまでも自分側の問題です。あまりそこ(リスナー側のリスニングスタイル)に寄せていってもつまらないんです。「音が悪くなっちゃったな」で終わっちゃうじゃないですか(笑)。それに、他の楽曲と比較しててもキリがないですよね。「曲からどんな印象を受けるのか?」が最も大事じゃないですか。肌寒い質感を作りたかったら、あまり低音がふくよかじゃない方がいい場合もあるし。その音楽から受ける印象に対して(ミックスを)追い込んでいくべきだし、それが芸術的な考え方じゃないかと。音圧だとかレンジだとかいう部分で音を作り始めると、それは「音の景色」を作るのとは違う気がするんです。例えば「夜中に作った曲だから、俺はハイを上げない」っていうミュージシャンがいてもいいし、暗い曲は暗い曲としてリリースしたいなと思うんですよね。

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