J-POPの歴史「1986年と1987年、新しい扉が開いたロック元年」

1986年に初来日したイギリスのチャールズ皇太子とダイアナ妃(Photo by Jayne Fincher/Princess Diana Archive/Getty Images)



中村あゆみの取材で向かったニューヨークでの体験

1986年12月に出たミニアルバム『Holly-Night』の先行シングルが「ONE HEART」ですね。先週、1985年を語ったとき、人生で1番忘れられない1年だったと言いましたけど、実はもう1年ありまして。85年、86年というのがワンセットみたいなところがあるんですね。なんでかというと、これも私ごとですが、86年に40歳になりました。40歳というのは、拓郎さんがひとつの目安にしていたり、70年代に音楽を好きだった人間にとって特別な年齢だったんですね。達郎さんも、インタビューで「40歳になったら現役なんかやっていなくて、レコード会社の部長さんとか裏方で収まっているんだろうな」って、よく話していたんですけど、40をどう迎えるかっていうのがあったんです。僕は40歳になるとき、NYに中村あゆみさんの取材で行くことになった。そしたら、成田空港で尾崎豊さんに会ったんですね。ちょうど帰国していて、またNYに帰るときで、同じ便だった。彼が「オーマイガー」ってアメリカ人みたいに両手を広げて「どこに行くの?」「あゆみちゃんの取材に行くんだ」「じゃあ向こうで会おうよ」っていう会話があって向こうに着きました。

あゆみさんのアルバムのスタジオに入って壁にかかっているゴールドディスクを見て心臓が止まりそうになりました。ジョン・レノンの『ダブルファンタジー』をレコーディングしたスタジオだったんです。エンジニアが『ダブルファンタジー』のアシスタントディレクターだった。インタビューが終わって雑談になって、トム・ペナンツイオという人に1980年12月8日の話を聞かせてくれないかと言ったんです。そしたら彼が「君がいま座っているその椅子にジョンはずっと座っていて、冗談ばかり言っていたんだよ」と。そのあと「じゃあな」ってジョンがスタジオを出て帰って行った何分後かに、そこのテレビのニュースでジョンが死んだと流れていた。ジョン、またこんな冗談を……って言っていたら本当だった、という話を聞いたんです。俺はジョン・レノンが死ぬ直前までいたスタジオで40歳を迎えているんだと思ったときに、人目をはばからず泣いてしまいましたね。

このとき、NYに中島みゆきさんが甲斐よしひろさんのプロデュースのアルバムで来ていたんです。さらにSIONもレコーディングで来てた。SIONと一緒だったのが、この「J-POP LEGEND FORUM」プロデューサーだった加藤与佐雄さんだったんです。与佐雄さんは尾崎さんのラジオ番組「誰かのクラクション」のディレクターでしたから、彼と一緒に尾崎のところに行こうよと言って、尾崎さんが住んでいたアパートに行ったんです。で、尾崎さんが、あゆみちゃんを紹介してよって言いうんで、イーストビレッジの朝までやっているバーに行きました。あゆみさんと尾崎さんが2人で話し込んでいるのを、あゆみさんのマネージャーと僕は遠くで見ているという、そういう夜でした。自分が関わったり、好きだったアーティストたちが偶然にもNYにいて、そこで自分の40才の誕生日を迎えている。音楽に関わっていて本当によかった、自分が間違ってなかったと初めて思えたのがその時でした。帰りの飛行機が燃料不足でアンカレッジに緊急着陸したときはこのまま落ちるんじゃないかと思いました。そのときに中島みゆきさんが作業していたアルバムからお聴きいただきます。

1986年11月発売、中島みゆきさんのアルバム『36.5℃』から「やまねこ」。

プロデュースが、甲斐よしひろさん。ミックスダウンがNYで行われました。ファンの間で、86年当時のみゆきさんは、姫御乱心と言われています。彼らにすればなんでそんなにロックに行きたがるんだろうと思っていた時期なんですね。外国人のエンジニアを起用したり、いろんな試みをしていた時期です。それを一通り経験して瀬尾(一三)さんと出会って、組むようになるのが88年。来週の話ですね。そういう意味ではみんなロックを意識せざるを得なかったという時代でした。「ウィ・アー・ザ・ワールド」があったり、「ライブエイド」があったり、それまでの70年代のロックとは違う新しい意味をそこに求めようとしていました。デジタルの時代になって、スタジオも変わり、レコーディングの方法も全然変わり、それまでの音とはガラリと変わってしまったんですね。そういう音楽を取り込まないと時代から取り残されるんではないか、遅れるんじゃないかということを、みゆきさんは真剣に考えていた。

87年は、ロック元年というふうに言われたんです。もちろんそれまでずっとあったんですけど、ここから新しい何かが始まるとみんなが思っていた。ロックに意味を求めるようになったんですね。それまでと違うロックが俺たちで作れるんじゃないか。その一つが87年の夏に広島で行われた「ピースコンサート」。被爆者支援、10年がかりで養護施設を立て直そうというはっきりした目標があって、それに向けてみんなでお金を集めようという、チャリティコンサートの中では日本であまりなかった形ですね。さらにこれをみんなで提唱した事務所が大同団結していた。マザーエンタープライズ、ハートランド、ジャグラー、ユイ音楽工房、キティミュージックという業界の大手がみんな集まってこれを成功させようとしたんですね。どんなアーティストがいたかというと、マザーエンタープライズはHOUND DOGに尾崎豊、RED WARRIORS、THE STREET SLIDERS、ハートランドには佐野元春さん白井貴子さんがいました。そして若きヒロインがこの人でした。

86年6月発売。年間チャート5位。渡辺美里さん「My Revolution」。

渡辺美里 / My Revolution


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