J-POPの歴史「1986年と1987年、新しい扉が開いたロック元年」

HOUND DOGの功績とは?

ヴォーカル大友康平さん、ギター八島順一さん、西山毅さん、キーボード蓑輪単志さん、ベース鮫島秀樹さん、ドラムブッチャー(橋本章司)さん、日本のロックの大衆化、広がりの上で、HOUND DOGの功績は大きかったですね。86年から88年にかけて彼らはツアー「Bloods LIVE Concert Tour 1986-1988」を行いました。足掛け3年、203本ですよ。すごかったです。1年中どこか旅をしてライブをやっていましたね。

85年、86年に西武球場がありました。大阪球場もやりましたね。そして武道館を15日間やったんですよ。これはおもしろかったですよ。僕らは取材陣でしたから、行けた日、行けなかった日で星取表を作ったんです。「俺、8勝7敗」とか「俺、6勝9敗」とか、そういうことをみんなでおもしろがっていました。僕は8勝7敗でした(笑)。ツアーの間に伝説のイベント「BEAT CHILD」がありました。「広島ピースコンサート」もあったんですね。HOUND DOG、拳を振り上げるロックの形を作りましたね。87年ロック元年と呼ばれました。HOUND DOG、残念でしたね。1番見せてはいけないものを見せて終わってしまった。そんな感じです。

尾崎豊 / Freeze Moon


1985年11月28日に発売になった3枚目のアルバム『壊れた扉から』の中に入っていました。この発売日は10代最後の日でした。11月14日、15日に代々木のオリンピックプール第一体育館、いまの国立第一競技場で「LAST TEENAGE APPEARANCE」というライブがありました。10代最後のライブでした。この曲の、なんだったんだこんな暮らし、なんだったんだこのリズム、っていうところが衝撃的でした。自分の歌の中で自己否定してしまう。すごいなと思った記憶があります。代々木の「LAST TEENAGE APPEARANCE」の打ち上げのシーンが鮮烈でした。彼は「音楽業界に革命を起こします」って言ったんです。19歳ですよ。彼の純粋な気持ちがその後、いろんな形で彼が裏切られたと思う場面が出てきたり、いろんなことで猜疑心にかられたりすることがあの結末につながっていってしまうんですけど、このときの尾崎さんは本当に純粋だったと思います。

先週、大阪球場の話をしました。その中で話し損ねたことがあるんです。大阪球場でのライブが終わりました。大阪球場は70年代に西城秀樹さんがやっていましたけど、尾崎さんはデビューしてから最速の、そしてシンガーソングライターとして、もっとも若い球場ライブだったんですね。周りは「よかったよかった」と盛り上がっているんですけど、関係者控え室というか通路のようなところにみんな集まっての打ち上げで、尾崎さんも缶ビールを持って、1人歩み出ていきなり缶ビールを頭からかけて「ミュージシャンはどれだけ歌えば幸せになるんでしょうか」と言ったんです。この話、僕は尾崎さんのことを話すときには触れるようにしてるんですけど、こういう青年は初めて見たという感じがありましたね。ライブにお祭りごとを求めていないんだな、この人はっていう。

「LAST TEENAGE APPEARANCE」の後、86年の1月1日に福岡国際センターでライブをやって、そのあと活動休止してNYに渡ってしまうんです。80年代半ば、NYは劇的な街でしたね。次のバンドもNYに縁の深かったバンドです。86年に解散しました。甲斐バンド、武道館の解散コンサートのライブアルバム『THE 甲斐バンド FINAL CONCERT "PARTY"』から「ラブ・マイナス・ゼロ」。

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