27歳で他界した「27クラブ」のスター20人

・マイア・サパタ


(Photo by Jackie Ransier)

ギッツのリードボーカル、マイア・サパタはパンクの申し子。シアトルで急速に発展した男性主体のグランジロック・シーンにおいて、女性ボーカルの筆頭だった。デビューアルバム『Frenching the Bully(原題)』で地元の人気バンドとなったが、2作目のアルバムリリースを控えていた1993年7月、サパタは何度も殴られ、強姦され、その上首を絞められて殺された。ニルヴァーナやパール・ジャムといったグランジロックの権威が募金集めに奔走し、集まった数千ドルの募金で私立探偵を雇い、犯人捜しが行われた。真犯人が見つかって、ようやく有罪が言い渡されたのは2003年だった。こうした事態を受け、彼女の友人は自衛組織Home Aliveを立ち上げ、シアトルを拠点に活動するバンドを集めてチャリティコンサートを開いたり、コンピレーションアルバムをリリースしたりした。サパタの友人でもあった7・イヤー・ビッチのメンバーは、1994年に追悼アルバム『Viva Zapata』をリリース。ジョーン・ジェットも、犯人捜査の資金集めのためにイーヴル・スティグ名義で(Gits Liveの逆読み)ギッツとツアーを敢行。亡き友を偲んだ。


・カート・コバーン


(Photo by Michel Linssen/Redferns)

カート・コバーンの遺体は1994年4月8日金曜日、電気技師によって発見された。書籍『Who Killed Kurt Cobain?(原題)』の著者の疑問に対する答えは簡単明瞭。カート・コバーンは自殺した。精神状態を綴った遺書を残し、彼は突如自らの手で荒々しく命を絶った。カートを担当していた薬物中毒のカウンセラーは、彼が訴訟で自宅を失うのではないかと気に病んでいたことを回顧する。「自殺傾向のある人々は、なんらかの意思表示をしたがるものなんです」と、ニーアル・スティムソン氏。「彼が自宅で自殺したというのを聞いて、(まるで)『何がなんでも家は渡すものか……』と言っているような気がしました」


・クリステン・パーフ


(Photo by Erica Echenberg/Redferns)

シアトルで行われたカート・コバーンの葬儀に、クリステン・パーフも参列していた。コートニー・ラヴ率いるバンド、ホールのメンバーで、同じくメンバーのエリック・アーランドソンの元恋人でもある。1994年、カートの死から2カ月後、パーフはジム・モリスンさながらに、シアトルのアパートの浴槽でヘロインの過剰摂取により死亡した。彼女もやはり27歳。シアトルの音楽シーンでは1年以内に、彼女を含め3人がこの年齢で死亡した。


・ランディ・“ストレッチ”・ウォーカー



絶頂期のトゥパック・シャクールは、彼の近くにいるだけで誰でも有名になれそうなほどの勢いだった。ランディ・“ストレッチ”・ウォーカーが有名になったのも、そのおかげかもしれない。だが彼は、取り巻きの一人として片付けられないような才能を秘めていた。優秀なプロデューサーでラッパーとしても長けていたストレッチは、自身のグループ、ライヴ・スクウォッドを結成した後もトゥパックのスタジオアルバムに定期的に参加し、ミキサー卓でもマイクの前でも、90年代に流行した生粋のギャングスタ精神を発揮した。その本物さゆえ、最終的には1995年11月にクイーンズで暗殺の標的にされてしまう――それから1年も経たないうちに、トゥパック本人も射殺された。今頃2人は、あの世でオールド・イングリッシュの盃を傾けていることだろう。

Translated by Akiko Kato

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