宇川直宏らが語る「5G時代の渋谷のあり方」

バブルの頃の渋谷が持っていたマインド

宇川:様々な世代に、渋谷に対するノスタルジーがあると思うんですよね。そこで、高度経済成長期からずっと渋谷を遡っていこうと思うんですけど、高度経済成長期って物質的な豊かさがあった時期じゃないですか。そこを抜けて、裕福な日本ができてバブル期になったわけじゃないですか。バブル期って堤清二さんからのセゾンカルチャーが流行った。そして、セゾン中心にサブカルチャーとハイカルチャーを接続したのが70年代後半から80年代後半にかけてだと思うんですよ。それが渋谷を中心に動いていた。その時期には物質的な豊かさを超えて、精神的な豊かさを求め始めた時代だと思うんですけど、それってやっぱり文化なんですよね。例えばその時代に広告ブームが起きて、PARCOの広告に「不思議、大好き。」って出るわけですよ。その不思議って文化なんですよね。「おいしい生活」っていう糸井重里さんのコピーがあるんですけど、この美味しいも文化なわけですよ。つまり何かというと、物質的な豊かさから情報を得て、文化的、つまり精神的な豊かさを求め始めたっていうのがバブルの頃の渋谷のマインドだったわけ。

シネセゾンではおしゃれな映画とかやっていたし、WAVEっていうレコード屋は、輸入レコードカルチャーを日本に広めましたよね。輸入レコードを浸透させることによって、文化的な豊かさを前提とした音楽、カルトな音楽が伝わったと思うんですよね。もう一つあるのが、DCブランドのカルチャーでしょ。さっきの裏原宿の話っていうのは、同じコミュニティにいるトレンドセッターが作ったユニフォームを皆で着たのが新しく感じられたと思うんですよね。そしてDCブランドブームはハイブランドのファッションと繋がった。で、池袋のカルチュラルスタディーズを広めていったコミュニティカレッジとかも堤清二さんが広めたものなんですよね。文化を学ぶっていうことを学問にした。こういう、情報を前提とした精神的な豊かさみたいなもの、つまり文化の時代だったわけですよ。そうこうしているうちに、インターネットとオタクカルチャーの台頭により沈んでいくわけです。その理由っていうのは、オタクカルチャーっていうのは消費者であり生産者だったからだと思うんですよ。裏原宿も同様で消費者であり生産者だったから。そこで文化がパラダイムシフトを起こしたわけですよね。1985年以降のインターネット以降の時代を生きていて、それを1Gとするならファーストジェネレーションですよね。

繁田:そうですね。携帯だと1999年がファーストジェネレーションになりますかね。

宇川:じゃあセカンドジェネレーションってなに?

繁田:携帯・インターネットでのダウンロード、待ち受けの壁紙ダウンロードや着メロとかありましたよね。当時は世の中にパーソナルデバイスっていうものがなかったと思うので、自分の服を着るとかの代わりになるデバイスやそのコンテンツがセカンドジェネレーションで出てきたっていうことですかね。

宇川:サードジェネレーションっていうのは?

繁田:サードだと、高速大容量っていうのも始まったので、動画なんかも始まったんですけど。皆の中では写メだったりとか人と共有できるもの、掲示板などのオタク文化っていうのに入り込みやすくもなって。その辺りからよりネットとリアルの文化が分かれていったかな。

宇川:それが2000年代初頭ですよね。そこから4回目のジェネレーションってなると……。

繁田:それはスマートフォンですね、これによってインターネットデバイスにアクセスできるようになりました。それまではなんちゃってインターネットが携帯では主流で。言うなれば、用意された箱庭から、泳げばどこにでも到達してしまうことになると、人々の泳ぎ方も変わる。その後にInstagramとかリアルをネットに持ち込む人が出始めたんですよね。

宇川:ここなんですよ。今僕が語った、セゾンカルチャーからインターネットカルチャーへのパラダイムシフトがあったでしょう。元々ニコ生は、リア充と呼ばれていた人たち、つまりネット側の人が自宅警備をしていて、リア充側の人間をある意味呪い、憧れてた時代が長くあったわけですよ。それが3回目のジェネレーションまで続いていたんですけど、4回目ではスマートフォンを持って街に出ようっていう時代になったわけですよ。リア充文化に乗り移ってしまったわけですよね。これを渋谷近辺の文化で言うならば、きゃりーぱみゅぱみゅは「可愛い」っていう文脈を変えましたよね。「Kawaii」になって世界に発信されて、渋谷に向かってインバウンドという形で日本に訪れましたよね。渋谷で昼間ディグっていたレコードっていうのはフェティシズムによって成り立っていて、3、4度目の文化で成り立った価値観でフォーカスされているじゃないですか。夜のクラブっていうのは風営法でかなり長い間活動が危ぶまれていた時代ですから、そこでナイトタイムエコノミーとかで変わっていこうとしている。つまり渋谷は音楽の街だったのに、音楽は奪われてきたんですよ。今本来の渋谷はどこにあるのって言ったらどこにもないから、新しい渋谷の文化資源を見出して観光資源を形作らないといけない時代になってると思うんですよ。

ここから語らないといけないのは、4Gの時代にリア充に乗り移ったカルチャーが、リアルな現実の優雅さを超えてバーチャルな世界にもリンクしているのが今だということ。セレブリティである私って言うのがインターネットに浸透していて、そこで盛ったバーチャルなものが5G前夜にすでにあるわけです。TikTokだってバーチャルとリアルに違いはないし、リアルが充実してるならそれを更に盛ったものを競い合っている文化が4G。つまり、コンテンツ消費の時代からコミュニケーションの時代へと変わったってことなんですよ。コト消費とかトキ消費とか。つまりこれはリアルの時間軸をいかにリアルに切り取るのか、リア充の質を求められている。ようやくコミュニケーションの時代がきた。辿ってきて考えたら、物質消費の高度経済成長から文化や情報消費の時代、コンテンツを消費する時代、そしてやっと究極のコミュニケーションカルチャーの時代がきたっていうことなんですよ。ここから皆の5Gの時代の渋谷のあり方を考えればいいんじゃないんでしょうか。

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