宇川直宏らが語る「5G時代の渋谷のあり方」

左から宇川直宏 (DOMMUNE)、繁田光平 (KDDI株式会社)、CEKAI(Courtesy of  WHITE NIGHT WEEK )、Naohiro Yako(flapper3)(Courtesy of  WHITE NIGHT WEEK )

渋谷のエンターテインメントに関わる著名人&有識者が集まり、渋谷のナイトタイムエコノミーについて考える「WHITE NIGHTWEEK SHIBUYA」が、11月5日(火)~7日(木)にわたり、東京・TSUTAYA O-EAST 5F特設会場にて開催された。

本記事では、DAY3に「5G時代 ーデジタルテクノロジーが見据えるエンターテイメントの未来ー 渋谷5Gエンタメテック会議 Vol.2」というテーマで開催されたトークセッションをレポートする。登壇者は、宇川直宏 (DOMMUNE)、繁田光平 (KDDI株式会社)、Naohiro Yako(flapper3)、CEKAIの4名。

宇川直宏(以下、宇川):今回渋谷未来デザインさんとエンタメテック推進協会さんが主催という事もあって、渋谷の未来について語らないといけないと思って。5G時代が到来した時に、渋谷がいかに未来を目指して邁進できるのかを語っていかないといけないと思うんですよ。まずは、渋谷の思い出から語らないといけないんじゃないかと思っていて、要するに4Gの時代まで渋谷ってどんな街なんだろうって。

繁田光平(以下、繁田):僕は埼玉っ子なんですけど、渋谷って憧れの街なんですよね。1975年生まれで、浪人していた頃はちょうどアシッドジャズとか聴いてたり、ルームとかに憧れていて。


左から宇川直宏 (DOMMUNE)、繁田光平 (KDDI株式会社)(Courtesy of  WHITE NIGHT WEEK )

宇川:渋谷系が大襲来していた時期ですよね。

繁田:それもありつつUKの音楽、ハードロックとかにもハマっていて。デトロイトテクノとかも出てくるのかな。そんな時代だったので、そこから一生懸命探せばいろいろなネタが出てきて、新しい世界が広がっていて。

宇川:渋谷系ど真ん中ですね。あの辺って日本がバブル最後っ屁あたりでまだ裕福だった時代なんですよ。レアグルーヴ的観点で言うと、世界中のレコードを日本人が掘りまくって、その価値を高めていった時代。世界中のレアなレコードが全部渋谷に集まっていたんですよ。つまり、今の渋谷を象徴する若者文化の先駆けとなったのがあの時期だと思うので、渋谷が音楽に満ち溢れていた時代を謳歌した世代なんですね。

繁田:渋谷に行けばなんか新しいものに出会えるんじゃないかなって。インターネットとかもまだまだ発展中だったので、すごく興味を惹かれましたね。

CEKAI:僕は1984年生まれで横浜の外れ出身なんですけど、あの時に見たストリートカルチャー自体がデザインだし、アートだと思って美術学校の予備校入りました。たぶん、その辺の世代はまさにそういうのに憧れて、ある意味で勘違いしたデザイン像みたいなのが渋谷にあったんです。裏原宿ブームとかもあったし。

宇川:さっき話していた渋谷系の世代を超えて、チーマーとかギャルの文化が渋谷にはありましたよね。その流れの中でエクストリームなガングロとかが生まれてパラパラと結びついていくんですけど、そこから裏側の、横にはみ出てしまった文化が裏原宿だったんですよね。

CEKAI:“裏原”っていう言葉の意味もわからずよくかっこいいと思っていて。スワッガーとかあの辺の服を着ることがカッコいいみたいな時代ですよね。

Naohiro Yako(以下、Yako):僕の実家が新宿なんですよ。だから、渋谷は憧れというか遊びに行くための場所っていう感じですね。買い物は新宿、遊ぶのは渋谷かなって。Club Asiaが全盛期の頃の円山町あたりのクラブに憧れて、VJとか興味を持ち始めましたね。

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