ナイトシーンのリビングレジェンドが語る今昔未来

左から吉岡加奈、佐藤俊博、臼杵杏希子(Courtesy of  WHITE NIGHT WEEK)



1980年代当時のゲイシーン

吉岡:新宿という土地柄、当時はLGBTの方との文化の交差はあったのでしょうか?

佐藤:当時のゲイシーンはとても閉鎖的で、特に二丁目は閉鎖的でした。僕が最初に連れていってもらったのは、当時のブラックボックスがあったあたりで、作家さんが集まるような場所もありました。そういう人たちが70年代後半に椿ハウスを通して色々混じり合うんですよ。パーティーもたくさん行われていましたし、確かに文化が産まれていっていたんだと思います。

吉岡:佐藤さんはクラブの制服を初めてデニムとTシャツにしたと伺いました。

佐藤:そうですね。当初は我々は水商売として跪いて蝶ネクタイをしてサービスをするという時代だったのですが、時代も変わっていってニューヨークなんかではTシャツがどんどん出てきていました。でも僕の時代ではそれは下着だって言われていたんです。(写真を見ながら)このスーパーマンのはコシノジュンコさんがデザインしてくれたんですよ。当時のニコルとかのデザイナーの方もデザインしてくれて、そこからTシャツが定着していきました。Tシャツとジーンズで商売をするというのは、椿ハウスが最初でしたね。海外からもデザイナーが来ていましたし、東京コレクションもあって活気のある時代でした。その中で我々も色々と学んでいったということです。

吉岡:当時、女性の存在はいかがでしたか?

臼杵:私なんかは当時文化服装学院の学生でしたので、憧れていたのはトップのメゾンのデザイナーさんでした。そういうメゾンには、とてもかっこよくてキレる女性の方が大体いて、ファッション誌で見ては憧れていました。椿ハウスにいると、有名なデザイナーさんとお酒が飲めたりもしたんですよ。それは学生にとってはとんでもないことで、普段なら教壇の上の方と遊び場で会えるということで、皆自分の姿を見せたいとか、作ったものを見せたいとかで行っていました。


Courtesy of  WHITE NIGHT WEEK

吉岡:夢のある話ですね。

佐藤:その反面、当時の一線のデザイナーの方も、若い人たちががどんなスタイルなのかというのを凄く興味を持っていました。

吉岡:そこに通じるかもしれないのですが、佐藤さんの名言に、「3人フロアでかっこいい人が踊っていれば、必ずその店は繁盛する」というのを訊きまして、その代表がロンドンナイトであったと。

佐藤:音楽もファッションも新しいものって時代によって変わっていきますよね。クラブで音楽を表現するのもそうなのですが、経営とかを考えてしまうと足踏みしてしまう。やはり常に新しいものを捉えていくためには、そういう新しい要素を入れていく必要性があると思っていました。ロンドンナイトには、かっこいい人が来るようになってその後盛り上がっていったということですね。

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