セルジオ・メンデス×SKY-HIが語る、ブラジル音楽と日本語ラップのスペシャルな出会い

―こんな世界的なアーティストからオファーをいきなり受けたSKY-HIさんはびっくりしたでしょうね。

SKY-HI:びっくりしましたね。最初はなんでそうなったかわからないし、何を求められてるかもわからない。とりあえず、「来週ぐらいに来日するからそこで会うのはどうか」っていう話になったので、「じゃあ、ちょっと会ってみましょう……」みたいな(笑)。で、実際にセルジオと会って、彼がそのときつくっていたアルバムの音源を聴かせてもらって、お話をして、ようやく「あ、そういうことか。すごいこともあるものなんだな!」って。だけど、そのあと中華料理屋に行って料理を食べ終わる頃には、これは楽しくできるじゃないかっていう気持ちになってましたね。

―SKY-HIさんのご両親もセルジオの大ファンなんですよね?

SKY-HI:そうなんですよ。今回の話を聞いてものすごく喜んで興奮もしていましたが、うちの両親の特異性なのか、僕のライブで初めてセルジオに会ったときも、親父が「セルジオー! 大ファンだよー」とか言うし、お母さんも「私は大学であなたの曲を演奏してたのよ」とか普通にオープンマインドで話しかけていて、妙に物怖じしないんですよ。変に「わー!」って緊張しないのがうちの両親らしいなと思いながら、遠く離れたところからその様子を見てました(笑)。

―ご家族とセルジオが一緒に写ってる写真をTwitterで拝見しましたけど、旧知の仲みたいな雰囲気でしたね。

SKY-HI:本当ですか⁉(笑)親父はブラジルにいる期間が長くて、僕は彼からシュラスコを教えてもらったし、向こうでセルジオのライブを観たことをよく自慢されたりしてましたね。


―セルジオは過去に、日本の女性ボーカリストとよく仕事をしていましたよね。

セルジオ:昔、化粧品会社のキャンペーンで「サマーチャンピオン」という曲を浅野ゆう子さんと録音したら、その曲がすごく人気になって、2カ月ぐらいかけて全都道府県を回ったことがある。沖縄から札幌までね!

SKY-HI:あっはっは!

―なんでそんなに長かったんですか⁉

セルジオ:わからないよ(笑)。とにかく日本は大好きで、55年の間に何度も来ているよ。文化もカルチャーも全部好きだ。剣道も相撲も好きだけど、野球はいまひとつだな(笑)。芸術、建築、映画、食べ物……とにかく日本が好きなんだ。第二の故郷だよ。だから、日本の若いアーティストと仕事するのは光栄なことなんだ


60年代に世界的ヒットを記録した、アルバム『セルジオ・メンデス&ブラジル’66』収録曲「マシュ・ケ・ナダ」

―先ほど、ブラック・アイド・ピーズの話が出ましたが、セルジオは日頃から新しいアーティストを探しているんですか。

セルジオ:すごく興味があるね。ブラジルでボサノヴァを始めたとき、当時はアコースティックギターとボーカルだけで構成されていたんだけど、そこにわたしはトロンボーン2本とサックス1本を加えた。そんなふうに、わたしは何か違うものを組み合わせるのが得意で、とにかく何か違うものをつくるっていうビジョンが昔からあるんだ。だから、素晴らしいミュージシャンと仕事をすることには常に興味があって、たくさんのミュージシャンとアイデアを交換するんだよ。例えば、ウィルが曲を書いて、ジョン・レジェンドが歌詞を書いて、わたしが演奏する。そういうコミュニケーションやコラボレーションのプロセスがすごく好きなんだ。なぜなら、わたしはいつでも学びたいからね。

―今もまだ学んでるんですか。

セルジオ:もちろんだよ。毎日、たくさん学ぶことがある。

―セルジオはこれまでいろんなミュージシャンと共演されてきたと思うんですが、そのなかでも一番ヤバかったのは誰ですか?

セルジオ:うーん……もちろん、ウィル・アイ・アムはグレイトだったし、フランク・シナトラもよかったな。

―フランク・シナトラはどういう方でしたか?

セルジオ:(日本語で)渋い。

―あはは! 

セルジオ:彼と一緒にワールドツアーに3回行ったけれど、すごい経験だったよ。

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