U2『ヨシュア・トゥリー』の知られざる10の真実

『ヨシュア・トゥリー』30周年記念ツアーで12月4日、5日に13年ぶりに来日するU2


4. 「ホエア・ザ・ストリーツ・ハヴ・ノー・ネーム」のレコーディングがあまりにも上手く行かなかったため、イライラしたブライアン・イーノがテープを消しそうになった。

バンドが新作のためにマテリアルを組み立て始めると、ジ・エッジは「究極のライブ曲」を作ることを自分のミッションとした。まだ引越し前のメルビーチの新しい家の最上階にある空っぽの部屋にこもって、彼は4トラックのテープマシンにいくつもの素材を録音しながら絶え間なく作業を続け、最後に生まれたパワフルなギター・リフが、のちに「ホエア・ザ・ストリーツ・ハヴ・ノー・ネーム」となった。

「ラフミックスを終えたときは奇妙な感覚を覚えた。だって、ついさっき人生最高のギター・パートと楽曲を作り出したっていうのに、その喜びを分かち合おうにも、俺は大きな空っぽの家に一人きりだったから。ラフミックスを再生して聞いたあと、しーんと静まった家の中の静寂を数秒間聞いて、ガランとした部屋の中で空気をパンチしながら、たった一人で喜びの踊りを始めたよ」と、バンドの自叙伝で語っている。

彼以外のメンバーはリフのトリッキーさに恐怖すら覚えたようで、ジ・エッジの熱狂とは違う反応を示した。「クラシック・アルバムス」のドキュメンタリーで、クレイトンは「やつは8分の6拍子のギター・パートを、バンドが入る時点で4分の4拍子にスイッチする方法を見つけたんだよ。正直な話、あのときは、あれを実現するためにヤツが費やした長い時間をありがたいとは思っていなかった。だって、バンドの演奏を台無しにするトリッキーさだったからね」と告白している。

2008年にMojo誌に掲載されたインタビューで、ダニエル・ラノアも他のメンバーと同じ不安を感じていたと言った。「リズム・セクションにとっては早口言葉を言うようなものだったし、小節の長さも奇妙で、みんな不機嫌になった。私が黒板に音符を書いて、理科の教師か何かみたいに、一つ一つ段階を踏んで変化を説明したのを覚えているよ」と、ラノアは当時を説明する。ことを複雑にしたのはこれだけでなかった。実は、この楽曲自体が完成とは程遠いものだったのである。「(ジ・エッジは)最初と最後は完成していたが、中間を全く作っていなかった。そこで、俺たちは両端をつなぐために必要なコード進行を生み出すために、うんざりするほどの時間を費やすことになったのさ」とクレイトン。

最終的にブライアン・イーノが臨界点に達した(「ブライアンは本当に激怒していた」とクレイトンが認める)。何人かの関係者が語っているのだが、イーノは怒りのあまり、この曲が入ったテープを消しそうになり、みんなで制止しなければいけなかった。「ブライアンはテープの中身を消してしまえば、みんながこの楽曲を諦めるだろうと思ったんだ」と、2003年のアンカット誌でラノアが述べている。「そのまま続けていたら、ちゃんとした曲が完成していたはずだ。でも、面白いことに、ときとして最も時間を費やした曲が完成しないことがあるんだ。費やした時間もアイデアも全部捨てるなんて絶対に嫌だから、ブライアンの行動が正しかったのかは私にはわからない。でも、あの曲の作業で私自身も少しイライラしたのは確かだよ」

しかし、「クラシック・アルバムス」のドキュメンタリーで、イーノはこの逸話を正そうと思ったらしい。「この話はいろんな所で話されているから、ここで本当のことを教えよう。この曲の一つのバージョンがちゃんとテープに録音された。ただ、このバージョンには数多くの問題があった。私たちが何時間も、何日も、何週間も費やしたのが、録音されたこのバージョンを修正することで、もしかしたらアルバム制作の半分の期間をこの曲だけに費やしたかもしれない。あちこちを切ったり貼ったりする作業の繰り返しで悪夢のようだったし、私は頭を切り替えてやり直す方がマシだと思ったんだ。やり直せばもっと早く完成するという確信があった。そこで、偶然の事故を装ってテープを消してしまおうというのが私の作戦で、もう一度やり直すことを望んだわけだ。でも、結局、実行しなかったよ」と語っている。

5. アルバム制作中にロビー・ロバートソンがU2を訪問した。

その8月、デインズモートでのレコーディング・セッションは続いていた。そんなとき、ロビー・ロバートソンが不意にU2を訪ねてきた。バンドの前ギタリストがダブリンに滞在中で、ダニエル・ラノアの協力を得て最初のソロ・アルバムを完成させようとしていたのだ。そのときの状況をラノアはのちにホットプレス誌でこう説明した。「ロビーとアルバムを作り始めたのだが、彼の作業が遅くて終わる気配がなくて、途中で抜けないといけなかったんだ。まずヨーロッパでピーター・ガブリエルの仕事をして、そのあとがU2だった。でもロビーとレコードを完成できなかったことが申し訳なくて、ある日ロビーに『ロサンゼルスから抜け出して、数日こっちに来てみたらどうだ?』と言ったんだ」

ところが、不運なことにロバートソンがダブリンに訪れたのは最悪のタイミングだった。彼が到着するとハリケーン・チャーリーがダブリンの町を襲い、何十年かぶりのひどい洪水を引き起こした。「濁流で溢れたストリートを車が何台も流れて行った」と、その年の後半にホットプレス誌のインタビューでロバートソンが語っている。「本当に恐ろしい光景だったよ。でも、ありがたいとこに、連中(U2)はやる気満々だった!」と。

ロバートソンは曲の断片を4〜5つ持ってダブリンにやってきたのだが、ハリケーン、新しいロケーション、U2という要素が彼のクリエイティヴィティに火を点けた。ロバートソンとボノは歌詞を即興で作り、U2の他のメンバーは楽器でバックアップしながら演奏を続けて、合計22分間のテイクをレコーディングした。これが編集されたものが「スウィート・ファイア・オブ・ラヴ」だ。これはU2がフィーチャーされているもう1曲「テスティモニー」と一緒にロバートソンのセルフタイトルのソロ・デビュー作品に収録された。

Translated by Miki Nakayama

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