史上最高のギャング映画になるか? スコセッシの新作『アイリッシュマン』に迫る

主役たちの容姿にデジタル処理を施し、20歳台の労働者や30歳台の組合委員長から、晩年を迎える80歳台までの長く曲折した人生をカバーしようとしたスコセッシ監督のやり方には、賛否両論があった。見ている方が混乱し、残念ながら製作者側の意図からは遠い部分も時折見られる。特に若き日のホッファを演じるデ・ニーロの顔が、まるでビニール製のマスクをかぶっているように見えるシーンもある。ただ、雰囲気を壊すほどのものではない。アル・パチーノやジョー・ペシも同様だが、まるでタイムマシンから降りてきたような彼らを見ているうちに慣れてくるものだ。ペシはスクリーンでずっと見ていたいと思わせる存在感があり、パチーノは久しぶりに素晴らしい演技を見せている。特に彼が大声を張り上げるシーンは、短気なホッファと完全にダブって見える。パチーノやグレアムの出演シーンや会合のシーン、そして几帳面さに欠ける点などはどこかで見たギャング映画のパロディのようでもあり、また同時に最も満足させてくれるシーンでもある。主役級と並び、レイ・ロマーノ、ハーヴェイ・カイテル、ボビー・カナヴェイル、キャスリン・ナルドゥッチ、ドメニク・ランバルドッツィ、ウェルカー・ホワイトら脇を固める俳優陣も、スティーヴン・ザイリアンの脚本のリズムや、スコセッシ監督のギャング映画に求めるこだわりをよく理解している。

当然ながら、スコセッシ監督の求める気難しい男たちや危険なアウトロータイプの役を最も多くこなしてきたデ・ニーロが要となる。ニューヨーク映画祭のプレミアでスコセッシ監督は、最後にこの映画祭で上映された自分の作品は約46年前の『ミーン・ストリート』で、今回と同じキャストだったとジョークを飛ばした。76歳になるデ・ニーロは、スコセッシとのコラボレーションで期待されるお馴染みのデ・ニーロ=イズムを存分に発揮し、驚くようなラストシーンを演出している。もしもスコセッシ監督が本作品を180分位のところで終わらせたとすると観客は、スコセッシとデ・ニーロによるいつものギャング映画か、という感想を漏らしながら映画館を後にするだろう。ところがスコセッシは、普通のクライマックスをさらに超えてストーリーを展開し、絶叫シーンもさらに話を広げている。ゆっくりと展開し、登場人物も歳を重ねていく。対立が起きれば、そのほとんどは平和的に解決せず、永遠に続くものすらある。我々は男たちの与える肉体的な苦痛を感じ取ったが、スコセッシは、彼らが冬の時代に感じていた心の痛みの目撃者に我々がなると言う。

悲劇要素ゼロのマフィアという、普通の映画、特にこれまでのスコセッシ作品では見られないマフィア神話が展開する。脚本家でスコセッシによる犯罪映画のパートナーでもあるニコラス・ピレッジ曰く、『アイリッシュマン』は緩やかなスコセッシ4部作の最終章にあたるという。『ミーン・ストリート』は街の若い不良の物語で、『グッドフェローズ』はあるマフィアの一員を追った。さらに『カジノ』は、マフィアの究極の資本主義の内幕に迫った作品だった。そして『アイリッシュマン』はそれらキャラクターのカーテンコールといった位置付けで、本作品の必然的なクライマックスを我々が知った後は、前の3作をこれまでとは違った観点から鑑賞できる。『グッドフェローズ』のラストは、男と銃の印象的なシーンで締めくくられたがこれは、初期の犯罪映画が使った暴力を表現する象徴的なシーンを連想させる。『アイリッシュマン』が、男、部屋、孤独、静寂といった空虚の象徴を描いている訳ではないことを強調しておく。本作品は面白おかしく、銃と激怒の犯罪大作だ。また純粋なスピリチュアル映画でもあり、つまりギャング映画とスピリチュアル映画に大きな違いはないということだ。


『アイリッシュマン』
11月15日から一部劇場にて公開中
2019年11月27日からNetflixで配信開始

Translated by Smokva Tokyo

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

MOST VIEWED人気の記事

Current ISSUE