ジョニー・キャッシュ、新ドキュメンタリー『The Gift』で描かれた10の真実

8. テネシー州チャタヌーガ近郊の洞窟内で、キャッシュは魂の解放を経験した。

1967年に最初の妻と離婚し、彼女と共にカリフォルニアで暮らす娘たちと会うことを禁じられていたキャッシュは、酒を浴びるほど飲み、1日で最大100錠の精神安定剤(興奮剤と鎮静剤の両方)を摂取していた。3日間睡眠をとらず、洞窟の入り口に座り込んで泣き続けていた彼は、ジューンに見つからないよう洞窟の奥に身を隠し、暗闇の中で別れの祈りを捧げた。「何かの気配を感じ、遠方で小さな光が灯るのを目にした」彼はそう語っている。「私は這いながら出口へと向かっていった。そして目覚めると、そこにはジューンがいた。私が死の間際にいたことを、彼女は察知したようだった。死ぬところだったのよと言った彼女に、私はこう伝えた。『俺は生きるよ』」

9. 薬物中毒を克服した直後、キャッシュは伝説のフォルソム刑務所でのコンサートを行い、再婚して息子のジョン・カーター・キャッシュが生まれ、大いに人気を博すことになるABCでのテレビシリーズを開始させた。

「薬物漬けのままでは、到底不可能だっただろう。あのショーを始めたとき、私は完全に素面だった」彼が4年前に追放されたオープリーの跡地にできたライマン公会堂を舞台に、ロックやポップからカントリーまで、様々なアーティストが出演した歴史に残るテレビシリーズについて、キャッシュはそう語っている。同番組では、キャッシュとジューンが息子のジョンを前に歌う姿が放送されたこともあった。「僕が生まれた頃、父のキャリアは絶頂期にあり、肉体的にも精神的にも、僕ら家族と分かち難く結びついていた」彼はそう述べている。「悲しいことだけれど、それは僕の姉たちが幼い頃に得られなかったものだ」「父は家庭に混乱をもたらし、母と自分自身に大きな苦痛を与えていました」ロザンヌはそう語っている。「拷問のような痛みにさらされながら、彼は救いを求めていました。(兄の)ジャックを亡くした時から、それはずっと続いていたのです」

10. 70年代と80年代にはアルバムの売り上げこそ低下したものの、キャッシュは娘たちとの交流を再開させ、オーディエンスと繋がるための新たな方法を見出した。

救済というテーマに焦点を当てる本作の最後のセクションでは、ビリー・グラハム牧師との交流、1968年作のライブアルバムでキャッシュが歌った「グレイストーン・チャペル」を作曲したフォルソム刑務所の囚人Glen Sherleyとの友情が描かれている。またロザンヌとカーリーンによる「アイ・スティル・ミス・サムワン」のパフォーマンスにジョニーが涙ぐむシーンなど、6人の娘のうち4人との交流を描いた心温まるシーンも収録されている。(リック・ルービンをプロデューサーに迎えた『アメリカン・レコーディングス』に到るまでの)以降の20年間は商業的成功にこそ恵まれなかったものの、キャッシュは長年求め続けていた心の平穏をようやく手にすることになる。

Translated by Masaaki Yoshida

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