ジョニー・キャッシュ、新ドキュメンタリー『The Gift』で描かれた10の真実

5. 後に彼の2番目の妻となるジューン・カーターは、キャッシュが1962年に行ったツアーに同行している。ほどなくして彼は、彼女の「リング・オブ・ファイア」をレコーディングする。

「彼女が私たちのツアーに同行することに、私は胸が高鳴るのを感じていた。互いに対する私たちの思いは、単なる雇用者と従業員という間柄のものではなかった」キャッシュはそう語っている。母であるMaybelle、そしてHelenとAnitaという2人の姉妹とともに活動しながら、自身を「コミックリリーフ」的存在と位置付けていた彼女は、過去にはニューヨークの著名な演劇の講師Sanford “Sandy” Meisnerのもとで、2年間にわたって演技について学んでいた。本作は1962年に残された、2人によるゴスペルのスタンダード「Where You There When They Crucified My Lord」のデュエット映像を収録している。

6. 本作に収録されたインタビュー映像で、彼は60年代を通じて西部開拓時代やアメリカの原住民に捧げられたコンセプトアルバムの数々を発表した理由について語っており、その逼迫感は今も失われていない。

具体的な日付こそ記録されていないが、本作に収録された音声インタビューで、キャッシュは以下のように発言している。「100年が過ぎた今、我々が犯した過ちを明らかにしておく必要がある。現在まで続く反ユダヤ主義、反黒人、反移民、反女性、そしてアメリカ原住民たちに対する虐殺同然の行為など、マイノリティーの人々に対して行ってきたことを」各ラジオ局が1964年作『Bitter Tears: Ballads of the American Indian』からの曲をかけようとしなかったことに対し、キャッシュはディスクジョッキーたちを「根性なし」と非難する広告をビルボード誌に掲載した。

7.1965年の時点で、とめどないツアーで消耗した姿と、薬物中毒に起因する横暴な振る舞いに、彼自身を含む多くの人々が危機感を覚えていた。

「私は骸骨のようだった」彼はそう話している。「まるで歩く死人で、私はそのことを自覚していた。当時の私には凶暴な一面があった。特に理由もなく、あらゆるものを容赦なく破壊した。グランド・オール・オープリーでのことは、ほとんど覚えていない。スタンドからマイクが外れずに苛立ち、私はマイクスタンドを投げつけた。それは幾つか照明を破損し、私は飛び散った破片を見て満足していた」ジューン・カーターとデュエットする予定だったキャッシュは、ステージ上でそのマイクスタンドを振り回し、全ての照明を破壊した。その様子を見ていたカーターは、「萎れた花のようだった」という。キャッシュは1956年から続いていたオープリーとのレジデント契約を解消されたが、後年に再び招聘されている。

Translated by Masaaki Yoshida

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