ストレイ・キャッツの歩みを再検証 「時代の最先端」だったネオロカビリー革命の裏側

ストレイ・キャッツ(Courtesy of BMG)

デビュー40周年を迎えた2019年、25年ぶりの最新アルバム『40』を発表したストレイ・キャッツ。ブライアン・セッツァー(G,Vo)、リー・ロッカー(Ba)、スリム・ジム・ファントム(Dr)の3人は、40周年記念のワールド・ツアーも敢行。さらに今秋には、40周年を記念したアナログBOXセット『Runaway Boys』もリリースしたばかり。ネオロカビリーの雄が歩んだ歴史を、荒野政寿(「クロスビート」元編集長/シンコーミュージック書籍編集部)が振り返る。


パンク/ニューウェイブとの“早過ぎた”関係

近年のブライアン・セッツァーしか知らない世代の人たちに「ストレイ・キャッツはパンク/ニューウェイブの流れから登場したバンド」と言っても、ピンと来にくいかもしれない。初期ストレイ・キャッツの音源を網羅したアナログ4枚組ボックス・セット『Runaway Boys』が発売された今、時代の最先端にいた当時の彼らの歩みを、改めて振り返りたいと思う。

ファンにはよく知られていることだが、ストレイ・キャッツ結成以前の70年代後半、ブライアン・セッツァーはブラッドレス・ファラオスというニューウェイブ・バンドに在籍していた。ニューヨークのマクシズ・カンザス・シティなどに出演し、ブロンディの鍵盤奏者、ジミー・デストリがプロデュースしたコンピレーション・アルバム『Marty Thau Presents 2×5』にも2曲提供している。当時の方向性はオールディーズ・テイストをまぶしたニューウェイブという感じ。モダン・ポップ志向のメンバーと、ルーツ・ミュージックに造詣が深かったセッツァーとの間で、次第に溝が生まれていったようだ。



その後、セッツァーはルーツであるロカビリー、ロックンロールに焦点を絞った自身のバンドに専念。ベーシストのリー・ロッカー、ドラマーのスリム・ジム・ファントムを迎えたトリオは、トムキャッツと名乗ってロングアイランド~ニューヨーク周辺でギグを重ねたが、当初はさっぱり客にウケず、鳴かず飛ばずだったそうだ。

そんな風にセッツァーが暗中模索していた当時、NYパンク・バンド、タフ・ダーツを脱退したロバート・ゴードンはいちはやくロカビリー回帰を打ち出し、ニューウェイブ的なサウンド・プロダクションとの融合を試みていたのだが。1979年に出版されたローリング・ストーン誌によるガイド本『The Rolling Stone Record Guide』を読むと、その時期のゴードンに対する手厳しい評が載っている。評者のデイヴ・マーシュは「ゴードンはロカビリー復権論者になりたがっているが、そのジャンルのニュアンスを何ひとつ理解していないので、結局は絶望的である」とバッサリ。今でこそネオ・ロカビリーの先駆として高く評価されているゴードンの傑作『Rock Billy Boogie』(UKパンク・シーンと縁の深いクリス・スペディングが全面参加)も、ここでは5点満点で星1つという扱いだ。まだアメリカでは感覚的に“早過ぎた”のかもしれない。



やがてトムキャッツはストレイ・キャッツへと改名、ヨーロッパでの成功を求めて1980年にロンドンへ渡る。イギリス~ヨーロッパに根強いロカビリー・ファンがいたことは当然頭にあったはずだが、デビュー当時のアンケートを見るとセッツァーはお気に入りバンドにアダム&ジ・アンツを挙げており、自分たちが乗れそうな“波”をしっかり見据えていたフシがある。

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