マイケル・ダグラスの息子が語る薬物依存の恐怖「俺は注射器の奴隷になった」

ドラッグでプレッシャーから逃れようとした少年時代

ニューヨーク・ポスト紙の紙面には「ダグラスの息子が刑務所行き」「キャメロン・ダグラスは被害者にあらず――単なる甘やかされたドラ息子」といった見出しが踊った。彼の窮状に同情を寄せるものはひとつもなかった。結局のところダグラスは、ほとんどの人が想像すらできないような、裕福な特権階級の出身だった。同世代の若者と同じようにヘロイン中毒になったとしても、彼には世界最高水準の更生施設に入る術があった。大量の麻薬所持で逮捕されても、最高の弁護士を雇ってもらえた。


1985年ごろ、『ナイルの宝石』撮影セットでのキャメロン・ダグラス(Michael Douglas Collection, Howard Gotlieb Archival Research Center at Boston University)

「人生は選択と決断の連続。そして、その結果と共に生きていくのさ」と彼は言う。「世界には俺よりもつらい幼少期を送っている子供が何百万といる。俺は俺なりの生き方をして、そのツケを払った。誰のせいでもない、俺自身のせいだよ」

とは言いつつも、子供ながらに一家の名前が巨大な重圧となっていたと本人も感じている。単なる有名一家のひとりではなく、いっぱしの人間として見られるというプレッシャーだ。「若い頃の俺の行動の裏には、家名にふさわしい人間だと証明したい、という衝動があった」と彼は言う。「それは俺にとって、一番上を目指そうとする人間よりもひとつ抜き出なくちゃいけないことを意味していた。何事においてもね」

小学6年生のとき無理やり寄宿舎学校に入れられたキャメロンは、そこでマリファナの味を覚え、やがて強いクスリに手を出した――それが学校側にバレたため、退学処分となった。ほどなく彼はちょっとした盗みを働いたり、街中で騒ぎを起こすようになった。こうした事件で、彼は長期間少年院に入り、アイダホ南部の砂漠を他の非行少年達と共に、ギリギリ失神せずに一日を乗り越えられるだけの食料を持たせられて踏破するという、「荒野の修行」をさせられた。その場合、彼の名字は特権ではなく呪いとなった。「そういう場所に行くときは、ミドルネームを使ったものさ。名字を知られたら、たちまち狙われるとでも思ったんだろう」と本人。「どのみちみんなに知られることになるんだけど、でも2週間ぐらいは名無しの権平でいられた。その2週間で評判をあげておかなきゃいけないこともわかっていた。もし誰かに本名がバレても大丈夫なようにね」

歯車が狂い始めるのは1990年代後半、NYを拠点にDJとして活躍していた頃、コカインを多用するようになってからだ。一度静脈に直接針を刺すや、コカイン中心の生活になった。「俺は注射器の奴隷になった」と彼は本の中で書いている。業を煮やした親類が彼の全財産を取り上げると、彼は薬物を続けるために国中でコカインやその他ドラッグを大量に売り始めた。そして2009年に逮捕され、禁固5年。その上刑務所内に麻薬を持ち込んだのが見つかって、さらに4年半刑期が延びた。

大人の刑務所での生活は、彼がそれまで経験したものとは似ても似つかなかった。『Long Way Home』には、他の受刑囚との暴力沙汰や、すぐ隣の独房から聞こえてくる囚人のレイプ、檻の中でつらいヘロインの禁断症状を耐えたことや、ハンドボールの試合中に脚の骨を折って重傷となっても4日間病院に連れて行ってもらえなかったという恐ろしい事件についてなどが、実に生々しく描写されている(当時は彼が刑務所内の喧嘩で骨折したと報じられたが、本人はそれは誤りだと主張している)。

中でも最悪だったのは、少量のマリファナ所持といった比較的軽い違反で、たびたび独房送りにされたことだ。「うさんくさい尿検査のせいで、11カ月も食らったんだ」と本人。「つまり、ちっこい箱に24時間、毎日入れられるってことさ。頭がおかしくならないよう、やれることは何でもした」


キャメロンと父マイケル。レイク・シャスタにて(Michael Douglas Collection, Howard Gotlieb Archival Research Center at Boston University)

Translated by Akiko Kato

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