アルバム『レッド・ツェッペリンII』誕生秘話

レッド・ツェッペリンの2ndアルバムは、バンドを代表する1枚となった。(Photo by Charles Bonnay/The LIFE Images Collection/Getty)

世界的なロックスターへの階段を上り始めた頃のレッド・ツェッペリン。忙しいツアーの合間に曲作りとレコーディングを続けた彼らは、自分たちのビジョンを史上最も素晴らしく最も卑猥なアルバムという形で現実のものとした。

「2枚目のアルバムには、バンドのアイデンティティが結集してできあがった作品が凝縮されている」とジミー・ペイジは、アルバムのリリースから数年後に振り返っている。レッド・ツェッペリンのデビューアルバム『レッド・ツェッペリンI』は、2週間に渡るスカンジナビアでの単独ツアー後の3週間でレコーディングされた。一方で2枚目の『レッド・ツェッペリンII』は、ロンドン、ニューヨーク、バンクーバー、ロサンゼルスをツアーしながら6ヶ月かけてレコーディングした。バンドはツアー中も、機材と一緒にマスターテープをスチーマートランクに入れて持ち歩いていたのだ。

「正に常軌を逸していた」とペイジは語る。「時間が全くなかったので、ツアー中に滞在したホテルの部屋で曲を書いたんだ。アルバムがリリースされる頃にはもううんざりしていた。各地をツアーしながら自分たちの作った曲を繰り返し聴いていると、だんだん自信がなくなっていく気がするんだ。」

そのような状況にもかかわらずレッド・ツェッペリンは、史上最高かつヘヴィで最も卑猥なアルバムを作り上げた。デルタブルーズとシカゴブルーズに1960年代のサイケデリアのエッセンスを取り込み、静かな曲調から激しいパートへとダイナミックに展開する。アルバムには、世紀末のカオスを思わせる『胸いっぱいの愛を』から、リフが印象的な『ハートブレイカー』や熱狂的なジュークジョイントブルーズの『ブリング・イット・オン・ホーム』まで、バラエティ豊かな楽曲が並ぶ。「これらの楽曲は、初めてバンドというものを意識して作った作品だ」とペイジは後に、ライターのミック・ウォールに語っている。「自分たちの持つエレメントをフルに活かした音楽だった。例えばボンゾ(ジョン・ボーナム)ならここでハードに来るだろう、と思えばそのように作り込むといった感じさ。」

1969年1月のデビューアルバムのリリースから4ヶ月も経たないうちにアトランティック・レコードは、クリスマス商戦へ向けた新たな作品の製作に取り掛かるようバンドを急かしていた。同年4月、ツェッペリンはエンジニアのジョージ・チキアンツと共にロンドンにあるオリンピック・スタジオに入り、『胸いっぱいの愛を』などいくつかの楽曲に取り掛かった。同曲は、ライヴで15分間以上の長いバージョンの『As Long As I Have You』(訳註:ガーネット・ミムズの楽曲)を演奏している最中にペイジが思いついたリフをベースに、マディ・ウォーターズの1962年のシングル曲『You Need Love』からロバート・プラントが歌詞の一部を拝借して作られている。『胸いっぱいの愛を』は、ジミ・ヘンドリックスの作品も手掛けたエンジニアのエディ・クレイマーによってニューヨークで仕上げられた。クレイマーは、ペイジによるスライドギターをベースに、テルミン(訳註:電子楽器の一種)の不気味な音、女性の喘ぎ声、ナパーム弾の爆発音などさまざまなサウンドを組み合わせて、おどろおどろしい中間部を作り上げた。ペイジ曰く、「サイケデリアを音で表現したようなもの」だった。

Translated by Smokva Tokyo

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