アルバム『レッド・ツェッペリンII』誕生秘話

レッド・ツェッペリンの2ndアルバムは、バンドを代表する1枚となった。(Photo by Charles Bonnay/The LIFE Images Collection/Getty)


ギターソロはスタジオの廊下で録音された。また『ランブル・オン』のパーカッション音は、ボーナムがギターケースかドラムスツールかゴミ箱を叩いて出しているようだが、実際に何を叩いていたかは誰も覚えていない。さらにボーナムの見せ場である『モビー・ディック』のドラムソロは、あちこちのスタジオでレコーディングした音源をつなぎ合わせたという。

行きあたりばったりのやり方でレコーディングされたのかもしれないが、結局は素晴らしい結果をもたらした。『強き二人の愛』では、ステレオ技術を駆使してペイジのギターとプラントのシャウトを左右のスピーカーへ飛ばすことで、麻薬によるバッドトリップを表現している。ハウリン・ウルフの『Killing Floor』をベースにした『レモン・ソング』は、スタジオでライヴレコーディングされた。ゆったりとしたクールなパートから熱狂的なブギへとシームレスに移行し、プラントが「レモン汁が俺の脚をつたって流れ落ちるまで俺のレモンを絞ってくれ!」と叫ぶ。

12弦ギターとオルガンをフィーチャーしたフォーク調の『サンキュー』は、プラントが初めて作詞を手掛けた曲で、彼の当時の妻に捧げる内容になっている。1年の間にバンドは、雪の降るイギリスをライヴツアーのために車に乗って移動していたかと思えば、高級ホテルのシャトー・マーモントに1週間ほど滞在してラスベガスの最前列でエルビス・プレスリーのショーを楽しんだり、ロサンゼルスのグルーピー集団The GTOsと交流したり、という生活を送っていた。

このようなカオス的な状況の中でもツェッペリンは集中し、無我夢中でレコーディングに励んでいた。スタジオにおける完全主義者のペイジが、他のことに気を取られるのを許さなかったのだ。1969年7月、デビューアルバム『レッド・ツェッペリンI』の米国におけるゴールドディスク達成をニューヨークのプラザ・ホテルで祝った夜、ペイジはメンバーをそのままスタジオへ向かわせた。

「米国では切羽詰まっていた」とボーナムは振り返る。「空港へ妻たちを迎えに行ってホテルまで連れていき、僕らはそのままスタジオへ戻って『ブリング・イット・オン・ホーム』をレコーディングする、といった感じさ。あの年はとにかくあらゆることをこなした。」

「ジミーはまるで戦争神経症にかかったようだった」と、ロードマネージャーのリチャード・コールがロンドンでのセッション時の様子を振り返る。「彼の顔は引きつり、目の下にはくまができていた。そしてだんだんタバコの本数も増えていった。」

Translated by Smokva Tokyo

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