スティーヴ・ジャンセンが語るジャパン時代、「静かに音楽を作ってきた」40年の歩み

スティーヴ・ジャンセンにとってのジャパン時代

─本と言えば、最近ジャパンの評伝の第2弾(『JAPAN 1983-1991 瓦解の美学』アンソニー・レイノルズ著)が出ましたけど、レイン・トゥリー・クロウで再結成した時のバンド内の確執など、当時のことが赤裸々に書かれていました。あなたも取材に協力していますが、そうしようと思ったのはなぜですか?

スティーヴ:第2弾の方には協力していないよ。最初の本(『JAPAN 1974-1984 光と影の全バンド史』)にはしたけどね。

─えっ、そうなんですか。では、ここで使われてる発言は……?

スティーヴ:最初の本のためにした取材の発言を使ったんじゃないかな。

─いずれにしてもその時何が起こったかを話しているのは同じですね。バンドの末期に人間関係が相当こじれたこととか……。

スティーヴ:確かに、自分の見方はこうだった、ということは述べたね。当初は、パーソナルなことはさておき、レコーディングの仕方や曲の作り方といった技術的なことを中心に振り返って欲しいということだった。どんな風にリハーサルをしていたのか、とかね。それまでそういうテーマで話したことはなかったから、できるだけ協力しようと思ったんだ。で、当時の事実を提供したところから、だんだん話が膨らんで、多少パーソナルなことを話したこともあったかもしれない。出来上がったものに関しては非常に満足しているし、内容もほぼ正確なものだと認識している。

ただ、続編への協力は断わったんだよ。著者は素材がたくさん必要だということで、僕の話を聞きたがった。他のメンバー全員とその後も仕事をしたのは僕だけだからね。そうすると僕だけの主観で話したことが唯一の事実と受け止められる危険性がある。それではおかしなことになってしまうと感じたんで、今回は協力は出来ないって言ったんだ。





─そうだったんですか。あなた自身、ジャパン時代に起こったことは、自分の中で全部消化しきれているんでしょうか。もっとこうすればバンドを続けていけたのに、という後悔はありますか?

スティーヴ:そもそも、これをやろうと言って始めたことを完成させることが出来なかった(レイン・トゥリー・クロウの作品が当初の企画とは異なる形で世に出たことを指している)。そういう意味では、もっとできることはあったとは思うよ。ただ、そんな状況で終わったことは悪いことじゃないと思ってる。そこで終わったからこそ、その後、それぞれがバンド以外の道を進むことが出来たわけだからね。成功の頂において解散してしまったのは勿体無いことだけど、逆にそれが『この人たち、次は何をやるんだろう?』って、人に興味を抱かせることにもなった。僕はそう思ってるよ。

僕に関して言えば、“後悔”というのはあまりないんだ。全てはなるべくしてなると思っているからね。デビューから6年ちょっと(※実際は5年)と、あまり長くはない期間の活動だったけど、その期間で僕らはかなり成長できた。最初の作品と最後の作品を聴き比べると、まるで違うバンドのようだ。成長はバンドが願う最大の課題だから、それが出来たという意味では満足しているよ。ただ、もっと出来たことはあったけどね。

Translated by Kazumi Someya

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