田中宗一郎と宇野維正が論じる「ビーチェラから1年、ビヨンセ『ホームカミング』がリリースされた本当の意義」

ビヨンセ(Courtesy of Parkwood Entertainment)

音楽評論家の田中宗一郎と映画・音楽ジャーナリストの宇野維正が旬なポップカルチャーの話題を縦横無尽に語りまくる、音楽カルチャー誌「Rolling Stone Japan」の人気連載「POP RULES THE WORLD」。

2019年6月25日発売号の対談では、2017年初頭からのラップ・フィーバーを経て、現在は「アイデンティティ回帰」の流れが起こっており、ビヨンセが2018年にコーチェラで披露したパフォーマンスを収めたライヴ・アルバム『ホームカミング』はその象徴的な作品なのではないか、という議論が繰り広げられている。

田中は「アイデンティティ回帰」という流れについて、このように説明している。

田中:以前も話したけど、ドレイクにしろ、ニッキー・ミナージュにしろ、ある意味、去年のアルバムはヒップホップ回帰でもあったわけじゃない? つまり、今というのは、2017年初頭からのラップ・フィーバーを経て、それぞれが個々のアイデンティティに回帰していくタイミングなんじゃないのかな。その個々のアイデンティティがヒップホップというコミュニティだったり、ローカルだったりするにせよ。

それを受け、宇野はビヨンセが2018年にコーチェラで行ったライヴ、通称ビーチェラの映像をNetflixで独占配信し、『ホームカミング』というライヴ・アルバムとしてもリリースしたことの意義は大きかったのではないかと投げかけ、その理由を議論している。

宇野:そういう意味では、ビヨンセが一年前のビーチェラの映像をNetflixで独占配信して、『ホームカミング』っていうライヴ・アルバムにも落とし込んだのは意義があることだと思いましたね。流石ビヨンセというほかない。

田中:サウンド全体にニューオリンズっていう彼女の出自というシグネチャーがしっかりと刻まれてるしね。ただすごく面白いのは、当然のことながらビーチェラと『ホームカミング』って内容は基本的に一緒なんだけど、それぞれの位置付けが違っていると思う。ビーチェラは2010年代半ばのブラック・ライヴス・マターという流れの集大成的なパフォーマンスという位置付けが出来た。一方の『ホームカミング』は、そのタイトルが象徴しているように、それぞれが個々のアイデンティティに回帰していく流れの始まりとしても位置付けることが出来る。時代が変化したことで、文脈自体が変化した象徴的なサンプルというか。

宇野:まさにそうですね。もちろんビーチェラの時点でその要素はあったんだろうけど、そこをちゃんと抽出した作品が『ホームカミング』だという。そもそも作品化ってそういうことですからね。

田中:ただ、そういう意味では『ホームカミング』はポップ作品ではないと言えるかもしれない。表現っていうのはユニバーサルな言語だっていう考え方があるじゃない? その一方で、表現はそれぞれのアイデンティティをレペゼンするものだっていう考え方もある。前者の考え方に立てば、表現とは壁を打ち砕くものなんだけど、後者の考え方に立てば、それは結果的に壁を築き上げるものでもある。そう考えると、もう仮に、誰もがもう一回自分のアイデンティティに回帰していくっていうナラティヴが生まれつつあるとするなら、それっていいことなのか悪いことなのか、正直わからないよね。

本誌での2人の会話は、『ホームカミング』と『グアヴァ・アイランド』(ヒロ・ムライ監督、ドナルド・グローヴァーとリアーナ共演)の共通項や、今年のコーチェラに見られた変化などへと進んでいく。

Homecoming: A Film By Beyoncé | Official Trailer | Netflix



Beyoncé / HOMECOMING: THE LIVE ALBUM

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Edited by The Sign Magazine


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