物議を醸した映画『ジョーカー』、全米が本作に震撼した理由

『ジョーカー』がうっぷんの溜まった若い白人男性に過剰に同情し、称賛まがいのスポットライトを当てていると感じる映画評論家はローソン氏だけではない。タイム誌の映画評論家ステファニー・ザカレック氏も同じような論評を展開し、『ジョーカー』を「過激で、無責任と言っても過言ではない」と称したうえで、隣人とのロマンスのくだりはフレックを「非自発的独身者の守護聖人」に祭り上げるためのサブプロットだと述べた。トッド・フィリップス監督はフレックを自殺願望のある狂人ではなく、むしろ負け犬のアンチヒーローもどきに仕立てることで、同じく疎外され、暴力的衝動を行動に移したいと願う若い白人男性の現状に過剰に同調していると、ザカレック氏は非難する。「この作品は、アーサーを英雄化し、美化し、彼の暴力的な行動に対しては白々しく首を横に振っている」とザカレック氏。

念のために言っておくと、こうした理由で『ジョーカー』を批判する映画評のほとんどは、この映画が暴力を誘発しているとおおっぴらに主張しているわけではない。社会から奪われたと思い込んでいる力を、暴力で取り返そうする者に過剰に同調していると言っているのだ。正直なところ、そうした意見に誰もが賛同しているわけではない。Rotten Tomatoesの評価は新鮮度76%と概ね好評価だ。弊誌の映画評論家デヴィッド・フィア氏も、さらにヒネリを加えてこう書いている。「映画に出てくる白塗り仮面の自警団的デモ隊を、『ゴッサムを占拠せよ』運動[訳注:ウォール街占拠運動にちなんでいる]とみるか、あるいは非モテ男の知識層の輩が反乱を起こしたとみるかは、観客の解釈にゆだねられる。彼は暴力カルチャーの旗印であり、地獄の沙汰の時代に生まれた道化なのだ」

トッド・フィリップス監督は、この作品が白人男性の暴力を正当化している、あるいは強調しているとする意見に頭から反論し、そうした意見は単なる左派の怒りの文化の産物だと、とあるインタビューで主張した。「僕たちは人々を煽る映画を作ったつもりはない」と、先週もWrap誌とのインタビューで語っている。「実際3か月の間で一度、僕はホアキンにこう説明した。『表向きはコミックブックの映画だけれど、既存のスタジオ映画製作の中で、本物の映画を作るつもりで取り組んでほしい』とね。『こういう行動を美化したいんだ』とは言っていない」 フェニックスも、『ジョーカー』が無責任かどうかという質問に対し、はぐらかしながらこう答えている。「道徳について説教するのは映画人の役割じゃないと思う」と、webマガジンIGNに答えるフェニックス。「もし善悪の区別がつかないなら、ありとあらゆるものを自分の好きなように解釈してしまうだろうけどね」

ワーナー・ブラザーズも作品に対する騒動を受け、声明を発表した。「誤解しないでいただきたいのですが、架空の人物であるジョーカーも、作品そのものも、いかなる類の現実の暴力を容認するものではありません」と同社は声明で述べた。「作品も、製作陣も、スタジオも、あの登場人物を英雄としてみなすつもりはありません」。

Translated by Akiko Kato

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