ビートルズファンは映画『イエスタデイ』を信じられるか?

『イエスタデイ』に出演するヒメーシュ・パテルJonathan Prime/Universal Pictures


人々は70年代に、彼らが現在もそうしているように、この映画のような考え方をしていた。ハリウッドは「昨今のキッズ」が 、ザ・ビートルズを忘れてしまうのではないかと危惧していたのだ。ザ・ビートルズは、少なくともキッズからは、絶対に忘れられることなどないと思われていたし、彼らの音楽は他の誰がやるよりも、どんどん良くなっていた。ザ・ビートルズファンは『イエスタデイ』を信じるか?作品は想像通り、音楽が中心の内容だ。映画の重みは楽曲に左右されるし、ここでどんな意見が述べられていたとしても、魅力や感情が溢れ出ている。スティーヴ・マーティンが「マックスウェルズ・シルヴァー・ハンマー」を歌わないだけでも、ビー・ジーズの『サージャント・ペッパー』より楽しむことができる内容となっている。

『イエスタデイ』はいまいちパッとしない主人公のジャック(ヒメーシュ・パテル)が、バスに衝突し、目を覚ますとそこは彼以外、ファブを知る人がいない世界だった。そこで彼は自分の曲としてザ・ビートルズの楽曲を歌い、名声と運を手にして行く。彼を理解するのは恋に悩むマネージャーであり、指に豆ができるまで彼を献身的に支えるエリーだけだった(エリーを演じるのは『ダウントン・アビー』でレディ ローズ・マクレア、『マンマ・ミーア! ヒア・ウィー・ゴー』でメリル・ストリープの若い頃を演じるリリー・ジェームズだ)。彼女の存在はジャックには勿体無いほどだが、それはポール・マッカートニーがデニー・レインには勿体無いほどであった過去に近い。

『ブラック・ミラー』のエピソードについて話しているわけでは無い— —『トワイライト・ゾーン』の可能性について楽しもうと企んでいるわけでも無い。世界を変えたザ・ビートルズが、世界から消えてしまったら?という内容に、「バタフライ・エフェクト」的なユーモアがあるわけでもない。コールドプレイやニュートラル・ミルク・ホテルが、ファブ無しで成り立ったら……というパラレルワールドであり、すべての男性がマッシュルームカットにすることを切望する以前の物語である。イギリスの評論家ドリアン・リンスキーは、「あるキャラクターは、“ザ・ビートルズのない世の中なんて、永遠に最悪な世界でしかない”と、まさにザ・ビートルズが存在せず、言葉通りの世界観を描いた作中で言う。」と書き留めている。

『イエスタデイ』の核を埋められない穴は主人公、またはその存在性の欠如である。ジャックは愛想も悪く、ニール・アスピナルのようなカリスマ性もなく、もちろんザ・ビートルズには到底及ばない。パテル(イギリスのドラマ『イーストエンダーズ』に出演)が酷い俳優なのか、或いはもの悲しさを抱いているという演出なのかははっきりと区別がつかないが、ジョージが「ア・ハード・デイズ・ナイト」で雄弁に描いたように、彼はつまらない奴で、それをみんなに知られている。ジャックを評価できる唯一の要素は、彼はピクシーズに入れ込んでいたこと(壁にポスターを飾っていた)、そしてザ・フラテリスのTシャツを着ていたことだ。正直に言うと、誰もザ・ビートルズを知らない世界は、人々がザ・フラテリスを覚えている超現実的な世界ほど、何もない場所だと言っていい(注:筆者はザ・フラテリスが好きだし、2006年にU.K.で大ヒットした「チェルシー・ダガー」を今すぐに歌うことだってできる)。

もしエリーが主人公で、ジャックが彼女の陰気で面白みのないマネージャー役だったら、『イエスタデイ』はもっと明るい映画だっただろう。彼女はザ・ビートルズのような才能を持っている。エリーがスタジオに参加し、タンバリンをかき鳴らし歌うシーンは、そこに電気が走ったように感じた——そうだ、ロックグループとは、メンバーと共に曲を作るのだ。そのシーンが終わると、『イエスタデイ』は不機嫌な男性がアコースティックギターを片手に音楽活動をする、というストーリーが続く。しかしながら、『アリー/スター誕生』や『ボヘミアン・ラプソディ』、『The Dirt: モトリー・クルー自伝』などの新しいロック映画の中で最も奇妙で不健全なことは、女性のミュージシャンは存在しなかった、と暗に示している部分だろう。いや、そのアイディア自体が無いのだ(『アリー/スター誕生』で、レディー・ガガがキャロル・キングのアルバム・カバーの下で寝ているときはショックだった。なぜならキャロルは、その映画に存在し、パフォーマンスは少ないものの、音楽を聴く唯一の女性ミュージシャンだったからだ)。

エド・シーランのシーンは、は作中で一番笑える部分だろう。彼はジャックに対し、曲を「ヘイ・デュード」に変更するよう説得する——作中は、こんなひねったジョークがよく登場する。エドは作品中でも面白おかしな存在で、彼自身も自虐的なことをしたがる。彼が飛行機の上で、ローディーと一緒に冗談を言い合うシーンがある——「君は大丈夫だから、フライトを楽しめ」というものだ。これはスウィフティーズ(訳注:テイラー・スウィフトのファン)にしかわからない内輪のジョークで、エドとテイラーが寝る前に送っていたテキストに由来する(「そう言ったわね、エド」「OKだよ、テイ」というもの)。このシーンは、21世紀のポップシーンが受け入れられたと思われる数少ない場面の一つで、作中でも目立っている(それは、劇場にいるポップガールズが、すべてを知っている父親より少し知識を披露できる瞬間でもある)。ケイト・マッキノンは、業界のサメのように陽気なハミングを聴かせる——ザ・ビートルズ映画に出演するヴィクター・スピネッティのように。

Translated by Leyna Shibuya

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