ザ・カーズからプロデュース業まで リック・オケイセックの生涯とロック史への貢献

ザ・カーズのリック・オケイセック(Photo by Lynn Goldsmith/Corbis/VCG via Getty Images)

ザ・カーズのフロントマン、リック・オケイセックが亡くなってから1週間。彼の功績を改めて振り返るべく、荒野政寿(「クロスビート」元編集長/シンコーミュージック書籍編集部)が13000字に及ぶコラムを寄稿してくれた。

リック・オケイセックの急逝後、物凄い速度でSNS上に現れるニュースや追悼コメントを眺めながら考えていた。彼についてよく知らない人たちがこれらの情報を一斉に浴びたら、きっと訳がわからず混乱するのだろうな、と。ある人にとってはUSニューウェイブ・バンド、ザ・カーズのリーダー。ある人にとっては「ユー・マイト・シンク」や「マジック」のMVで目にしたMTV時代のコミカルなアイコン。ある人にとってはスーサイドやバッド・ブレインズを手掛けたプロデューサー。また、ある人にとってはウィーザーの育ての親、などなど。

どれもその通りなのだが、それぞれ彼のキャリアの一側面に過ぎない。“マルチ”という概念が音楽業界に定着する以前からリックは多方面で活躍していたが、かといって自分が全能の人であるかのように自己演出・喧伝するタイプでは決してなかった。なので、限られた側面でしかリックに触れていない人が多くても不思議ではない。彼の死後に初めて、「リックはこんなバンドもプロデュースしていたのか!」と知り、驚いた人も実際少なくないだろう。

すでにカーズのカバー・バージョンやサンプリングされた曲、映画で使われた楽曲などについては他所で様々に検証されているので、ここではそうした“広がり”についてではなく、リック自身の歩みと関わった作品に着目して、長いキャリアを整理していきたい。

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ベンジャミン・オールとの黄金コンビの出発点


リックは1944年生まれ、享年75。古いプロフィールから70歳説を唱える声もあったが、実際はカーズがデビューした1978年の時点で、すでに30代半ば。リックがプロデュースしたウィーザーのデビュー作、通称『ザ・ブルー・アルバム』(1994年)が世に出た時には、もう50歳だった。

カーズ=ボストンのバンド、というイメージが強いが、リックが生まれ育ったのはメリーランド州ボルチモア。16歳の頃、父の転勤にともなって、オハイオ州クリーヴランドへ移住した。リックの父はNASAの技術者で、現在「グレン研究センター」と呼ばれているクリーヴランドの施設で働き始めたのだ。

クリーヴランドは伝説的なラジオDJ、アラン・フリードが活躍していたことで知られるロックンロールのメッカ。この地で、リックは将来の相棒と出会う。地元のテレビ番組にグラスホッパーズというバンドのシンガー兼ギタリストとしてレギュラー出演していたベンことベンジャミン・オールと知り合い、1965年から交流を持ち始めた。



グラスホッパーズ解散後、ベンはいくつかのバンドを経て、リックとID Nirvanaなるバンドを1968年に結成。これが黄金コンビの出発点となったようだ。オハイオ州周辺で音楽活動を続けるも芽は出ないまま。各地を転々としながら活動を続け、ミシガンやニューヨークで歌っていた時期もあったという。そんな2人が70年代に入ってから流れ着いた先が、マサチューセッツ州のケンブリッジだった。ここからボストン周辺で演奏を重ね、新たなキャリアが始まっていく。

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