ザ・カーズからプロデュース業まで リック・オケイセックの生涯とロック史への貢献

ザ・カーズ解散、ソロ活動の本格化

メンバー各自が個人活動モードに入っていた1985年、カーズは10月に初めてのベスト・アルバム『グレイテスト・ヒッツ』を発表。ここからの先行シングルとして用意された新曲「トゥナイト・シー・カムズ」は従来のバンド・サウンドに回帰しており、全米7位まで上昇、カーズにとって最後のトップ10入りシングルとなった。



翌1986年9月に、リックは2枚目のソロ・アルバム、『ディス・サイド・オブ・パラダイス』をリリース。テレヴィジョンのトム・ヴァーレインや、ティアーズ・フォー・フィアーズのローランド・オザーバルら豪華ゲストの参加が話題になった本作には、カーズからベン、グレッグ、エリオットも参加した。サイド・プロジェクトっぽかったソロ1stとは対照的に、ここに並んだポップな楽曲はカーズそのもので、バンドとしての今後に不安を感じたのも確かだ。

シングル「エモーション・イン・モーション」はビデオにも随分力が入っており、本気モードのソロ活動であることを実感させられた。全米シングル・チャートで15位まで上昇、ソロでは最もヒットした曲だ。



同じ年の10月、まるでリックと競うように、ベンジャミン・オールがソロ・アルバム『The Lace』を発表。シングル「Stay The Night」が全米24位まで上昇している。グループとしての活動再開が危ぶまれる中、しかしカーズは再び集合、次作のレコーディングに取り掛かった。

リック・オケイセックがプロデュースしたカーズ6枚目のアルバム、『ドア・トゥ・ドア』(1987年)は、初期の未発表曲「リーヴ・オア・ステイ」「タ・タ・ウェイヨ・ウェイヨ」や、1981年にデモを録音していた「カミング・アップ・ユー」など、ストックを引っ張り出してきたこともあり、タイプの異なる曲が混在、アルバムとしてはやや散漫な仕上がりになった。だが1曲ずつ見ると粒揃いで、サブスクリプション時代の今なら違った感覚で楽しめるアルバムかもしれない。『ハートビート・シティ』とは対照的に打ち込みが減少、キーボードの出番もかなり減り、ギター中心のロック・バンド然とした作品になっている。フォーク・ロック的な清涼感がある先行シングル、「ユー・アー・ザ・ガール」は全米17位まで上昇した。





『ドア・トゥ・ドア』のツアー中、ミーティングでリックが解散を提案し、これを他のメンバーも了承する形で、特に公式発表をしないままカーズの歴史は一旦終わった。直接的な解散の原因は今もよくわからないが、メンバーの発言から察するに、『ドア・トゥ・ドア』のレコーディング中、メンバー間の関係が難しい状態になったのは確かなようだ。ツアーの動員が芳しくなかったことも、そろそろ潮時、と判断する材料になったのだろう。これによって、予定されていた二度目のジャパン・ツアーは残念ながら幻に終わってしまった。

カーズ解散後、しばらく目立った活動をしていなかったリックは、リプリーズと契約して1991年に3枚目のソロ・アルバム『Fireball Zone』をリリース。共同プロデュースにシックのナイル・ロジャースを迎えた本作は、何故かナイルの色がほとんど出ておらず、カーズの後期以上に重厚なロック・アルバムに仕上がった。カーズのデビュー以来、初めて全米チャート入りを逃す低調なセールスに終わったが、ドラムスの派手なゲートリバーブさえ気にしなければ、リックらしい佳曲が揃っているアルバムだ。シングル「Rockaway」のMVには、スーサイドのマーティン・レヴがチラッと友情出演している。




続く4枚目のソロ作『Negative Theater』(1993年)は詩集と連動したプロジェクトになる予定だったが、リプリーズから「商業的でない」と内容にケチがつき、そのままの曲目ではヨーロッパでしか発売されなかった。結果、同作の収録曲から7曲だけ残し、新たにマイク・シップリーのプロデュースで7曲録音して追加、変則的な内容で世に出たアルバムが『Quick Change The World』(1993年)だ。追加されたポップな楽曲では「Don’t Let Go」が際立っていたが、『Negative Theater』でしか聴けないダークな楽曲もクオリティ的には遜色のないもの。陰と陽をなす両アルバムの全曲を網羅した“完全盤”の登場に期待したい。


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