ザ・カーズからプロデュース業まで リック・オケイセックの生涯とロック史への貢献

ザ・カーズのリック・オケイセック(Photo by Lynn Goldsmith/Corbis/VCG via Getty Images)



代表作『ハートビート・シティ』、ライブバンドとしてのザ・カーズ

そして1983年、久々にカーズの新作『ハートビート・シティ』のレコーディングがロンドンでスタートするが、これは彼らの代表作となると同時に、バンドとしてのレコーディングが事実上崩壊した、異色のアルバムでもあった。



当時のインタビューで、デヴィッド・ロビンソンはサンプル・ソースとしてドラムを叩く以外に“演奏”をする機会がなくなり、レコーディングでの出番がなくなってしまったとこぼしている。本作でフェアライトによるサンプリングと、プログラムされたビートを大々的に導入することになった背景には、新しいプロデューサー、ロバート・ジョン“マット”ランジからの影響があった。ランジはフォリナーやAC/DC、デフ・レパードとヒット・レコードを続けて生みだしており、最新のテクノロジーを駆使して編集を重ねたサウンドの構築に没頭している時期だったのだ。リックいわく、「常になりゆきに任せてきた」カーズにとっては、避けて通れない変化のタイミングだった。

誰もが最新のデジタル・サウンドをどう消化していくか、というテーマと格闘していた時代に、カーズは従来のバンド・サウンドを潔く放棄してこれをクリア。強化されたビートにヒップホップ的なニュアンスも加えて新生し、同時にコミカルなプロモーション・ビデオがMTVでウケて、若いオーディエンスを獲得することにも成功した。

かつてはリックにとって憧れの対象であったアンディ・ウォーホルが「ハロー・アゲイン」のMVを監督するという、思わぬ余禄までついてきた。それぐらい、“1984年のカーズ”は時代の突端に躍り出ていたのだ。

本作からのMVがどれも評判になったおかげで、リックはその飄々としたキャラクターを面白がられるようになる。後に映画『メイド・イン・ヘブン』(1987年)や『ヘアスプレー』(1988年)にカメオ出演することになったのも、全ては『ハートビート・シティ』の成功があったからだ。



そして1985年、カーズは「ライヴ・エイド」への出演を果たすわけだが。少し前にアップされたアンディ・グリーンによるリックの追悼記事で、ライブバンドとしてのザ・カーズが随分低めに評価されていて驚いた。

「ユー・マイト・シンク」や「ドライヴ」の演奏中にフィル・コリンズが乗ったコンコルドの映像がインサートされたのは事実だが、当時の大スターが海を渡ってきたタイミングに、たまたま運悪くカーズが当たっただけの話だ。そこにライブバンドとしての評判云々を絡めて書いてしまう意図がよくわからないし、リックの訃報が流れた直後にわざわざ書くことでもないだろう。この日の演奏が特別しょぼかったとも思わない。



今ではカーズのライブ映像は数種のDVDに収められており、VHS時代よりも追体験するのが容易だ。そもそも高度な演奏力を持つメンバーが揃っており、生だと弱いということは決してない。これから彼らのライブ映像を観るなら、打ち込みを併用する以前のテレビ用ライブを収めた『ライヴ・イン・ブレーメン 1979』や、ライブ映像集『アンロックト:ライヴ・コレクション 1978-1987』といった公式作品から観ることをおすすめしたい。バンドとしてのダイナミズムがはっきりと確認できるはずだから。

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