ザ・カーズからプロデュース業まで リック・オケイセックの生涯とロック史への貢献

メジャー・デビューを飾った、鮮烈すぎる初期2作

さて、当時エレクトラと言えば、クイーンのアメリカでの所属レーベル。カーズのデビュー・アルバム『錯乱のドライヴ』(1978年)も、クイーンを手掛けたロイ・トーマス・ベイカーがプロデュースを担当し、ロンドンで録音することになった。分厚いハーモニー、立体的で生々しいギター・サウンドは、まさにロイ印。しかし、そうした名匠のスタンプ以上に強いインパクトを与えたのが、単音弾きのシンセを飛び道具的に使ったシャープなアレンジだ。バディ・ホリー風の唱法やハンド・クラッピングなど、いにしえのアメリカン・ポップスを思い出させるパーツもちりばめたレトロフューチャー的な解釈のロックンロールは、78年当時の“ニューウェイブ”という感覚をわかりやすく体現していた。



カーズのレトロフューチャー的なイメージは、アメリカの産業を象徴する“自動車”をバンド名に選んだこととセットで語られる機会が多いが、実際のところバンド名の決め方は案外ざっくりしていたらしく、リックはこう説明してくれた。

「(ザ・カーズというバンド名は)ドラマーのデヴィッド・ロビンソンが決めたんだ。確か名前の候補がたくさんあって、街中に出てアンケートを取ったんだよ。その中で一番人気がなかった名前を選んだんだ。僕も変な名前だな、クレイジーだな、って思っていたけれど、結局それを採用した。バンドさえ気に入ってもらえれば、名前なんか二の次で、どっちみち気に入ってもらえるだろうと思っていたからね」

70年代後半にデビューしたパンク/ニューウェイブ勢はアメリカの市場においてセールス的な成功をなかなか収められずにいたが、カーズは全米のラジオで受け入れられ、アルバムも順調に売れ続けた。ブロンディやB-52’sと共に、田舎の隅々までニューウェイブの存在を知らしめたバンド、とも言える。

カーズの登場が鮮烈過ぎたのだろう、彼らより後にメジャー・デビューしたUSバンドには、カーズのシンセ使いをなぞったと思われる例が少なくない(20/20、ブレインズ、ザ・A’sなど)。恐らくレーベル側の意向もあって、売れるための要素として“カーズっぽさ”が求められるようになったのだ。



しかし、カーズの2作目『キャンディ・オーに捧ぐ』(1979年)は、そんな状況などどこ吹く風で、“2枚目のジンクス”を打ち破る刺激的なアルバムだった。アルベルト・ヴァーガスの退廃的な薫り漂うイラストを使用したジャケットも秀逸。メインストリームのど真ん中で音・ヴィジュアル共にアート性を打ち出し、独自のポジションを獲得した作品だ。



前作に残っていたハード・ロック/クラシック・ロックの残り香が払拭され、必然的にロイ・トーマス・ベイカーのカラーは後退。むしろデビュー前のデモに戻った感じすらするソリッドな楽曲と、引き続きロキシー・ミュージックなどへの憧れを感じさせるモダンなポップ・ソングとが本作には共存している。

プリンスの「ダーティ・マインド」に影響を及ぼした可能性が高い「レッツ・ゴー」は、ルーターズの同題曲からコーラス部分を堂々と引用。明快なパスティーシュがある一方で、タイトル曲「キャンディ・オーに捧ぐ」ではダークサイドに一歩踏み込み、鋭利なギターとシンセがスリリングにせめぎ合う。

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