ザ・カーズからプロデュース業まで リック・オケイセックの生涯とロック史への貢献

ザ・カーズのリック・オケイセック(Photo by Lynn Goldsmith/Corbis/VCG via Getty Images)



ザ・カーズとしてデビューするまで

この時代の活動について、2011年にリックから聞いた証言を引用しよう(以下の発言抜粋も、全て同じインタビューから)。

「ベンと僕は、ニューヨークにいた頃は2人でギターの弾き語りをしていた。その後にマサチューセッツのケンブリッジに移ってから組んだバンドは、皆がアコースティック楽器を演奏するフォークっぽいものだったんだ。何故なら、お金がなくてエレキが買えなかったから。そのバンドの名前は“ミルクウッド”だよ」



ミルクウッドはパラマウント・レコードと契約、1973年に唯一のアルバム『How’s The Weather』を残している。

「ニューヨークで知り合ったマネージャーが、ミルクウッドのアルバムを作らないかって提案してきた。僕達は『やった!』って喜んだけど、ミルクウッドはロック・バンドじゃなかったし、とにかく持っているものを出し切ってやってみようということで、あんな作品になったんだ。あのアルバムはあんまり好きじゃないし、曲も良くなかったと思う。でも、あれが最初だったからね」



しかし、パラマウント・レコードと交わした契約が仇となり、彼らは活動を制限されてしまう。

「その後3年間、他のどのレーベルでもアルバムが作れなくなってしまった。なのでその間、ボストンでバンドをいくつも作ってはつぶし、最後にうまくいったのがザ・カーズだったっていうわけ。いくつかのバンドを経てきて、一番しっくりきたのがカーズだったんだよ。だから、ミルクウッドの頃から今の形になるまで、5~6年かかってる」

ここで触れねばならないのが、音楽性の大きな変化だ。CSN&Yを思わせるフォーク・ロックを演奏していたミルクウッド時代から一変、ニューヨークやボストンで触れてきた先鋭的なバンドや、同時代のイギリスのモダン・ポップ勢(特にロキシー・ミュージック)の影響が、次第に顕著になっていく。

「僕たちがボストン・ローカルで演奏し始めた頃って、ラジオで色々な曲を聴いていたけれど、買えるアルバムがなかった。だから自分たちが好きな感じの曲を作って、楽しみながらやっていたんだ。ヴェルヴェット・アンダーグラウンド、モダン・ラヴァーズなんかが大好きだったよ。ボストンって大学の町で、とてもたくさん大学があるから、小さいけど非常にラジカルな音楽シーンがあるんだ。バンドも多かったし、色々と実験的なことをするにはもってこいの環境だったんだよね」


ザ・カーズ、1977年のライブ音源

その後いくつかバンドを経るうちに、シンセサイザーを含む鍵盤楽器全般を操るグレッグ・ホークスと、サウスポーの技巧派ギタリストであるエリオット・イーストン(2人はバークレー音大に通っていた経歴の持ち主)、そして元モダン・ラヴァーズ~DMZのドラマーだったデヴィッド・ロビンソンという強力なミュージシャンたちが集まってきた。ザ・カーズが発足したのは、1976年のこと。デモ・テープが評判となり、エレクトラ・レコードとの契約を獲得する。しかもマネージメントを担当したのは、それまでニール・ヤングやジョニ・ミッチェルを手掛けてきた大物、エリオット・ロバーツ(今年6月、リックより先に他界)。実は当時トーキング・ヘッズやディーヴォも同じエリオット・ロバーツのマネージメントに所属しており、後にニール・ヤングがニューウェイブに傾倒していくのも頷ける背景があった。

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