ライヴ・エイド出演の立役者が語る「クイーン」バンドの一員として共に歩んだ35年間

クイーンのサポートメンバーとして長くキーボーディストを務めてきたスパイク・エドニー(Xavi Torrent/Redferns/Getty Images)


ーコンサートに向けたリハーサルと、2時間のステージを20分に凝縮するプロセスについて教えてください。

実のところ当時は、それが歴史に刻まれる一大イベントだっていう実感がなかったんだ。あの頃はバンドも勢いづいていて、いつでも演奏できる状態だった。持ち時間が20分だと知って、その間に何ができるかを全員で話し合った。彼らが出した答えは、バンドの代名詞でもあった長尺のメドレーをやることだった。オーディエンスが喜ぶ曲をやろうってことになって、定番の「ボヘミアン・ラプソディ」と、当時のツアーのハイライトになってた「RADIO GA GA」を盛り込むことが決まった。会場に着いて出演時間を確認すると、後はもう流れに身を任せるだけだった。ファンを興奮させるようなことが言えなくて歯痒いけど、大掛かりなプランなんかは特になかったんだ。当たり前のことをやった、そういう感じなんだよ。

他のバンドの面白くもないステージを見ながら、なんでみんなヒット曲を凝縮したセットを組まなかったんだろうって、僕は首を傾げてた。それが求めらていることなんだって、どうしてみんな分からないんだろうってね。僕ら以外、誰もそのことに気づいてないみたいだった。

ー演奏中、すごいことをやっているっていう実感はなかったと?

なかったね、いつも通りのギグだった。違いといえば日中のショーだってことと、まともなプロダクションがなかったことくらいさ。さっきも言ったけど、僕たちは準備万端だった。映画じゃ2年近く演奏していなかった僕らがステージで浮き足立ってたってことになってるけど、あれは事実じゃない。僕らは過去6ヶ月間ツアーに出ていたし、アンサンブルは完璧だった。違ったのは演奏時間だけで、僕らはそれに見合ったものを組んだ。客を喜ばせる方法を考えた結果、「ボヘミアン・ラプソディ」をギターソロのところまで演って、そのまま「RADIO GA GA」に繋ぐっていう流れを考えついた。ほぼ丸ごと演ったのは「ハマー・トゥ・フォール」だけだね。「愛という名の欲望」では、フレッドの案で僕がステージ前方のグランドピアノを弾いた。カメラには映ってないけどね。

ーあなたがあのステージに立ったことが広く知られていないのは、カメラに映っていないからだと思いますか?

間違いなくね。

ーいくつかの場面で一時停止してみると、部分的に映っているところはありました。

僕が後方のキーボードから前方のグランドピアノに移動するところは、ゼロコンマ何秒か映ってるよ。「愛という名の欲望」は全部僕が弾いてるんだけど、僕の方を向いてるカメラは皆無だった。ロジャー・テイラーに向けられてるやつもなかったけどね。

ー1986年のツアーはいかがでしたか?

ライヴ・エイドの反響を思いっきり反映してたね。バンドの人気に拍車がかかって、さらに映画『ハイランダー 悪魔の戦士』もあの年に公開された。84年のツアーではアリーナを回ったけど、あの年は全部スタジアム公演だった。ウェンブリー・スタジアム公演があっという間に完売したことを受けて、取ってつけたかのようにツアーの最後にネブワース公演が追加されたんだ。知っての通り、あれがフレディの最後のステージになり、オリジナルメンバーのクイーンの最後のライブになった。なのに映像が残っていない。それ以来何もかもが撮影されるようになったよ。



ーネブワース公演で特に印象に残っていることは何ですか?

そうだな…メンバー全員ヘリコプターでの移動が気に入ってたから、ライブが終わるとすぐそれに乗って移動したんだ。僕が会場に残ったのは、バックステージで壮大なツアー打ち上げパーティーがあって、トップレスのモデルがたくさんいたからだ。主役が僕以外に誰もいないもんだから、あちこちから写真攻めにあったよ。その後は僕も帰宅した。当時は独身だったから、多少は羽目を外してもよかったんだよ。

ーあなたは80年代にオリジナルメンバーのクイーンのツアーに2度同行していますが、アメリカには来ないままでした。

それは『ホット・スペース』の評判が良くなかったからだよ。「地獄へ道づれ」の成功を踏まえて、彼らはソウル / ファンク / ディスコに傾倒したわけだけど、思ったような形にはならなかった。今あのアルバムの曲をやると、すごくいい感じなんだけどね。でも当時は評判が良くなかった。バンドのアメリカでの人気は下火になって、「RADIO GA GA」もヒットしなかったし、メンバーが女装した「ブレイク・フリー(自由への旅立ち)」のビデオはMTVで流してもらえなかった。ヨーロッパとは違って、MTVはああいう文化的なジョークが理解できなかったんだ。それはアメリカの他のメディアも一緒で、あのビデオはどこの局でも流してもらえなかった。

勢いを失ってしまったことは残念だったね。だからバンドは、人気が下火のアメリカにわざわざライブしに行くよりも、もっと需要がある他の国に行くべきだって考えたんだよ。

Translated by Masaaki Yoshida

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