革新的レーベルの歴史に迫る『ブルーノート・レコード ジャズを超えて』7つの見どころ

映画『ブルーノート・レコード ジャズを超えて』に出演しているロバート・グラスパー(©️MIRA FILM)



3. ブルーノートは他のレーベルが見向きもしなかったセロニアス・モンクにチャンスを与えた

ディキシーランド・ジャズとスウィングの盛り上がりが一段落した頃、ビバップに注目したライオンとウルフが契約した初期アーティストの1人が、20世紀最高のミュージシャンのひとりとされるセロニアス・モンクだった。しかし彼がブルーノートと初のレコード契約を交わした1947年の時点では、彼はまだ一部のミュージシャンの間でのみ知られるカルト的存在に過ぎなかった。

「反応は様々だった」ライオンは本作内で、モンクがブルーノートから発表した最初の作品についてそう語っている。「ものすごく評価する人もいれば、才能のかけらもないと揶揄されることもあった」



プロデューサーであると同時に歴史家であり、後年のブルーノートにおける重要人物となるマイケル・カスクーナ曰く、レーベルがモンクの処女作をリリースする以前に、ライオンはその稀有なピアニストによる長時間セッションを4度にわたってレコーディングしていたという。

「運もあると思うけど、モンクのレコードはまるで売れなかった」カスクーナはそう話す。「大半の人間は彼の音楽を理解していなかったから、風当たりは強かった。アルフレッドは5年に渡ってモンクを支え続けたけれど、最終的には見切りをつけないといけなかった。彼への投資がレーベルの存続を危うくしていたからだ。たとえ売れなくても自分が信じた才能をサポートする、アルフレッドはそういう人だったんだ」

ドナルドソンはこう語っている。「ブルーノートがなかったら、モンクが世に知られることはなかっただろう。(後にモンクと契約する)コロムビアやキャピトルは、当初彼にまるで興味を示さなかったからね」

4. レーベルの共同創設者フランシス・ウルフがスタジオで踊り始めた時は、そのテイクが採用されることを意味していた

本作における見どころのひとつは、ショーターやハンコックといった音楽のソウルメイトたちが明かす、ブルーノートにまつわるエピソードの数々だ。オールスターセッションの休憩の場面では、ハンコックがシミー(腰や肩を振って踊るジャズダンス)を披露しながらショーターに笑ってこう問いかける。「おいウェイン、これが誰の真似かわかるか?」するとショーターはこう返す。「フランク・ウルフだろ」そして2人は同時に爆笑する。

ハンコック曰く、ぎこちなくも気持ちのこもったウルフ(本作には彼が撮影したミュージシャンたちのレコーディング風景の写真が幾度となく登場する)のそのダンスは、ブルーノートにおけるセッションの出来のバロメーターになっていたという。

「セッションの最中にフランクが踊り出したら、そのテイクは採用ってことだった」ハンコックはそう話す。「彼が踊らなかったら、そのテイクはボツってことだよ」

5. 思いがけずヒットした2曲は長期にわたる弊害をもたらし、結果的にレーベル最初の黄金期の終焉へと繋がった

60年代半ば、ブルーノートから発表されたトランペッターのリー・モーガンによる「ザ・サイドワインダー」、そしてピアニストのホレス・シルヴァーの「ソング・フォー・マイ・ファーザー」という2曲のハードバップ・クラシックは思いがけないヒットを記録した。カスクーナ曰く、それは短期的には歓迎されたものの、何よりも音楽を重視してきたレーベルに思いがけない問題をもたらしたという。




「2枚のレコードが大ヒットしたことで、経済面に問題が起きたんだ」カスクーナはそう話す。「ディストリビューターからはヒット作をもっと出すようプレッシャーをかけられていたけれど、アルフレッドはブルーノートの方針を変えるつもりはなく、レコードがヒットするかどうかは重視しなかった。結果的に、ディストリビューターたちはレーベルに渡す予算を削り始めた。それが原因で、キャッシュフローに深刻な問題が生まれたんだ」

それがきっかけとなり、ブルーノートは1966年にリバティ・レコードに買収された。「新しい経営陣は、金のことしか頭にない連中だった」ルー・ドナルドソンは本作でそう語っている。

Translated by Masaaki Yoshida

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

MOST VIEWED人気の記事

Current ISSUE