革新的レーベルの歴史に迫る『ブルーノート・レコード ジャズを超えて』7つの見どころ

1. ナチスの迫害から逃れてきたレーベルの創始者たちは、ビジネスマンである前にいち音楽ファンだった

本作の序盤に登場するアーカイブの音声インタビューでは、レーベルの創始者であるアルフレッド・ライオンとフランシス・ウルフの2人が、20代半ばにベルリンで経験したジャズとの出会いについて語っている。「ジャズにものすごく惹かれていたけれど、その魅力を理解していたわけじゃない」ウルフはそう話している。「理屈抜きにして、とにかく好きだったんだよ」

ライオンもそういった感覚を共有していた。「私にとって、ジャズは感じるものだった」彼はそう話している。「何が訴えかけてくるのかは理解できなかった。でもおそらくビート、そして音楽が生まれてくる様に惹かれたんだと思う。言葉にならない感動を覚えて、私は自分でもレコードを作ってみたくなった。自分自身が楽しむためにね。それが始まりだったんだ」

ユダヤ人だった2人は、1930年代にナチスの迫害から逃れるためにドイツを離れ、移り住んだニューヨークで1939年にブルーノートを設立した。初期の頃、2人はビジネス面よりも自身の情熱を遥かに重視していた。「彼ら自身がファンだったんだ」ブルーノートの現社長、ドン・ウォズは2人についてそう話す。「それも熱狂的なね。彼らがレーベルを始めたのは、自分たちが聴きたい音楽を形にするためだったんじゃないかな」

2. アーティストたちはブルーノートが何よりも音楽を重視することをすぐに学んだ

ブルージーでハードかつグルーヴィーなスタイルによって、レーベル黄金期のサウンドを定義づけたサックス奏者のルー・ドナルドソンは、ライオンとウルフが当時多く存在していた「チープな」競合レーベルの人間たちとはまるで違ったと話す。「悪党がゴロゴロしてた」当時仕事を共にした多くの業界人について、ドナルドソンはそう語っている。「でもアルフレッドは違った。彼らは俺たちのやりたいようにやらせつつ、何か気づいたことがあった時は簡潔に意見を述べた。彼は理論的なことには詳しくなかったから、ミュージシャンたちにあまり干渉しなかった。彼は誰に対しても敬意を払ってたよ」

60年代初期から半ばにかけ、『処女航海』などジャンルの枠を押し広げたクラシックの数々を同レーベルに残したハービー・ハンコックもまた、ドナルドソンと同じように感じていた。「アルフレッド・ライオンとフランク・ウルフ、そして(ブルーノートの専属エンジニアだった)ルディ・ヴァン・ゲルダーは、音楽が何の干渉も受けずにあるべき姿で生まれてくるのを促すという、私たちのやり方に理解を示してくれた」稀代のピアニストは本作でそう語っている。



ライオン自身のコメントもまた、ビジネス面よりも芸術性を重視するレーベルの信条を示している。「私たちが手がけたレコードは、どれひとつとしてヒットを狙ってはいなかった」彼はそう話す。「中には思いがけずヒットした作品もあった。しかしそれはあくまで結果であって、私たちが意図したことではなかった」

Translated by Masaaki Yoshida

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