ブラピ、ディカプリオ最新作、カルト集団マンソン・ファミリーによる殺人事件18の真実

チャールズ・マンソン(Bettmann Archive/Getty Images)


3.レコードプレーヤーにかけてシャロン・テートが聴いているバンドは、マンソン・ファミリー(とテート&ポランスキー)に深い関係がある

作品の中でも割と明るいシーンのひとつは、テートがベッドルームで1960年代のバブルガムポップ・バンドであるポール・リヴィア・アンド・ザ・レイダースの曲に合わせて踊る場面だ。そこへセブリング(エミール・ハーシュ)が入ってきて、彼女の音楽の好みをからかう。実際にテートがバンドのファンであったかどうかは定かでないが、バンドはマンソンと密接な関係があるのだ。バンドのプロデューサーも務めたテリー・メルチャーはテートとポランスキーの友人であり、かつてはシエロ・ドライブの邸宅の住人だった。彼はレイダースのヒットレコードのほとんどをプロデュースし、マンソンによるレコードプロデュースの依頼を拒否したために、マンソンの怒りを買ったと言われている。リードヴォーカルを務めたマーク・リンゼイもまた一時的にシエロ・ドライブ10050番地の邸宅に住み、邸宅で行われたパーティーで一度マンソンに会ったことがあるという。

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ポール・リヴィア・アンド・ザ・レイダースの曲に合わせて踊るシャロン・テート役のマーゴット・ロビー(Andrew Cooper/Columbia Pictures)

4.テートとポランスキーの交友関係には、ザ・ママス・アンド・ザ・パパスのママ・キャスやスティーヴ・マックイーンらがいた

プレイボーイ・マンションで開催されたパーティーでテートは、セブリングのほか、ママス・アンド・パパスのキャス・エリオットとミシェル・フィリップスらと踊っていた。さらにその様子を見守っていたのは、スティーヴ・マックイーンだった。ハリウッドのスウィンギング・シックスティーズ時代にそのようなスターの集まりは珍しくなかったが、この5人が一緒にパーティーに参加していたのは間違いないだろう。エリオットとフィリップスはテートの友人だったが、セブリングのクライアントでもあるマックイーンもまた友人のひとりだった。事実、マックイーンの未亡人が2017年にナショナル・ポスト紙に語ったところによると、マックイーンは殺人事件のあった晩にテートからシエロ・ドライブの邸宅でのディナーに誘われていたという。もしも彼が「若い女と遊びに出かけて」いなければ、事件に巻き込まれていただろう。

5. ジェイ・セブリングは完全なる邪魔者

映画の中でセブリングは、ポランスキーが現れたことでテートの恋人から親友に格下げされた人物として描かれている。さらに3人はお互いに離れられない存在で、セブリングはその後もずっとテートを愛していて、彼のテートへの思いは100%プラトニックでないことを示唆している。セブリングとテートは数年間恋人関係にあり、テートがポランスキーと出会う直前にセブリングは彼女に結婚を申し込もうとしていたのは事実だ。カリナ・ロングワースのポッドキャスト番組によると、セブリングは当初、ポランスキーとテートが付き合い始めたことに腹を立てていたという。ところがポランスキーと直接会った後、(あり得ないと思うがどういう訳か)2人は親友同士になった。殺害された当時、セブリングがまだテートを愛していたかどうかはわからない。しかしグレッグ・キングが著書『Sharon Tate and the Manson Murders』の中で、ある悲しい事実を明らかにしている。セブリングが亡くなった時、テートと付き合っていた頃に彼女からもらった卒業記念リングをまだはめていたという。

6. シャロン・テートは映画で描かれている通り、よく裸足で歩き回っていた

『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』だけでなくほとんどの作品中に女性の裸足を登場させるタランティーノの執着ぶりについては、さまざまな議論を呼んでいる。シャロン・テートの裸足のクローズアップショットがあまりに多いため、彼女の役作りが犠牲にされていると主張する評論家すらいる。ところがシャロン・テートを演じたマーゴット・ロビーのインタビューを掲載したハリウッド・リポーター誌によると、「シャロンはどうやら靴を履くのが嫌いで、レストランへ入って行けるように時には足首にゴムバンドを巻いてサンダルのように見せかけていた」という。汚れた裸足のクローズアップは決してそそられる映像とは言えないが、史実を忠実に描いているのだ。

7.テートとポランスキーが引っ越して来た後、マンソンがメルチャーに会うためシエロ・ドライブの邸宅を訪れた

映画の中でマンソンは、テリー・メルチャーに会うためシエロ・ドライブ10050番地の邸宅を訪れている。応対したセブリングが彼に、メルチャーは既に引っ越した旨を伝えた。情報源により多少内容が食い違うが、最も信ぴょう性が高いのは、ポランスキーとテートが邸宅を借りていた時のオーナーであるルディ・アルトベッリによる裁判証言だろう。アルトベッリの証言によれば、マンソンは1969年3月23日にメルチャーを訪ねて邸宅に姿を現したという。映画ではセブリングが応対したことになっているが、実際はテートとポランスキーの友人で写真家のシャフロク・ハタミが玄関で応対した。ハタミ自身の証言もアルトベッリと一致している。当日マンソンと話したハタミは、彼をアルトベッリの所へ案内したという。

8.ヒッチハイクを装いメンバーを勧誘したマンソン・ファミリー

作中でブラッド・ピッド演じる落ちぶれたスタントマンのクリフ・ブースは、道路脇でヒッチハイクしようとしていたプッシーキャット(マーガレット・クアリー)を車に乗せた。マンソン・ファミリーの一員という設定で、美人の彼女は架空の存在だが、車に乗り込むとすぐにブースのご機嫌を取ろうと彼の下半身に手を伸ばした。これは実際にマンソン・ファミリーの女性たちが頻繁に行っていたリクルート戦略で、多くの信者や協力者を得ることに成功した。現実にあった話として、ザ・ビーチ・ボーイズのドラマー、デニス・ウィルソンが初めてファミリーと出会った時の体験談がある。彼はサンセットブルバードでヒッチハイクしていたファミリーメンバーのパトリシア・クレンウィンケルとエラ・ジョー・ベイリーを車に乗せ、自宅へ連れて行った。その後彼女らはウィルソンの自宅に居ついて、しばらくの間去ろうとしなかったという。

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南カリフォルニアのサンタスザーナ山脈にある広さ500エーカーのスパーン映画撮影所の概観(1969年)(Photo credit: AP/Shutterstock)

Translated by Smokva Tokyo

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