レッド・ツェッペリン、ステージ復帰を果たしたライブ映像を回想

『イン・スルー・ジ・アウト・ドア』は2019年にリリースから40年を迎えた(Photo by Rob Verhorst/Redferns)

一風変わったアート・ロック大作『イン・スルー・ジ・アウト・ドア』のリリース直前にレッド・ツェッペリンが英ネブワース・フェスティバルでライブを披露した映像を回想する。

レッド・ツェッペリンの壮大なラストアルバム『イン・スルー・ジ・アウト・ドア』は2019年にリリースから40年を迎えたが、同アルバムが評価されるようになったのはごく最近のことだ。当然、ローリングストーン誌も割れるんじゃないか、と心配になるほど同アルバムを徹底的に叩きのめした。「万が一、ロバート・プラントが自分を中傷しない女に出会ったとしたら、プラントは彼女のことを絶対に『The apple of my eye(私の愛おしい人)』と呼ばないほうがいいだろう。そんなことをしたら拒絶されるに決まってる」とローリングストーン誌のライター、チャールズ・M・ヤングは同誌の記事で皮肉った。「私が『アイム・ゴナ・クロール』を拒絶するのと同じようにね。この曲でプラントは、こんな陳腐な謳い文句に大事な意味があるかのように歌っている」。40年後、『アイム・ゴナ・クロール』の甘ったるいシンセサイザーの調べはさらに甘さを増し、人々の心に響きつづけている。

『イン・スルー・ジ・アウト・ドア』は、混迷と悲劇が原因でレッド・ツェッペリンがツアー活動を休止していた2年間に終止符を打った。1975年にロバート・プラントは自動車事故で重傷を負い、その2年後には胃感染症が原因で5歳の息子カラックを失った。ジミー・ペイジが重度のヘロイン中毒に苦しんでいた一方、ジョン・ボーナムはアルコール依存症と闘っていた(ボーナムはアルコールが原因で1980年に死亡)。その結果、ストックホルムにあるABBAのポーラー・スタジオにレコーディングセッション中はたいてい一番乗りに来ていたジョン・ポール・ジョーンズが指揮をとることになった。「『イン・スルー・ジ・アウト・ドア』は私のアルバムだと言えるかもしれない。『プレゼンス』がジミー(・ペイジ)のアルバムであるのと同じように」とジョーンズは1991年に作家・音楽ジャーナリストのリッチー・ヨークに語った。

アルバムの1曲目を飾るのは「イン・ジ・イヴニング」だ。ケネス・アンガー監督の短編映画『ルシファー・ライジング』のサウンドトラック制作から得たインスピレーションと、Gizmotronという音を無限にサステインできるエフェクターによって可能になったギターサウンドをフィーチャーしてペイジが作曲した楽曲だ。スタート段階から、このアルバムがバンド史上もっとも実験的なアルバムになることは明らかだった。サンバからインスピレーションを得た「フール・イン・ザ・レイン」や、10分を超える意欲作「ケラウズランブラ」をはじめ、同作によってレッド・ツェッペリンは正式にロック・アートというジャンルへの進出を果たした。息子カラックに捧げた「オール・マイ・ラヴ」は、胸を締めつけるようなメロディーで「ホット・ドッグ」の難解なロックさを相殺している。

Translated by Shoko Natori

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