リッチ・ブライアン独占取材 人生を変えたヒップホップとアジア発のアイデンティティ

リッチ・ブライアン(Courtesy of ワーナーミュージックジャパン)



アメリカのヒップホップが人生の学校

―先ほどからアメリカンでヒップホップな感じの英語を流暢に話していますが、インドネシアでも普段から英語を話していたんですか?

ブライアン:実はノーで、学校に科目はあるけど家で話すことはない。少なくとも僕の家では誰も英語は話さないし、会話はインドネシア語だ。僕もインドネシアの友達と話す時は英語じゃないしね。僕にとって英語のレッスンはミュージックビデオを観まくること。毎日、毎日、そればっかり観てたから……。好きなものが英語の音楽だったから、それが僕には当たり前だったんだ。そしてある時、気がついたらビデオを観ながら英語で一緒にラップしてて、さらに気がついたら頭の中で考えている言語も英語になっていた。本当に不思議だけど、自分の内なる声が英語になってた感じ?

―それはすごい。

ブライアン:面白いよね。あとはTwitterで知り合ったアメリカ人の友達とのやり取りで英語を使ったり。でも、やっぱり誰かのラップを聴いて真似して、っていうのが一番練習になったと思う。ノリとか、そういうのもわかるから。最初はメッチャ難しかったよ。ライムを覚えるのも一苦労なのに、それを口に出してラップするのはもっと難しくて。今でも覚えてるけど、最初にラップで格闘したのはマックルモアの「Thrift Shop」だったから、あのライムはまだ頭に入ってるよ。


2018年にリリースした自身初のフル・アルバム『Amen』は全米18位のヒットに。ジョージ『Ballads 1』とともに、2018年の88rising快進撃を印象付ける作品となった。

―自分で書いたオリジナルのライムは最初から英語?

ブライアン:英語だよ。アメリカのヒップホップにどっぷり浸って育ってきたから、当然のように英語になった。

―ヒップホップが語学学校であり、音楽学校であり、職業訓練校でもあった。

ブライアン:間違いないね。

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2019年7月7日、リッチ・ブライアンはラッパーとして初めてインドネシアのイスタナ(大統領宮殿)を訪問し、ジョコウィ大統領と会談した。

―でもヒップホップには、ラップ以外にもいろんな側面がありますよね。ビートメーカー、プロデューサー、DJ、ダンス……そういったエリアに興味はなかった?

ブライアン:うーん、どうかな。ビートメイクはもちろん興味があるけど。今は実際、自分で自分の曲をかなりプロデュースしてるし。プロデュースを始めたのは2年前かな。ラップを始めて少ししてからプロデュースもするようになった。何度かプロデューサーと組んでみてコツがわかったのと、やっぱり人に説明して理解してもらうのって難しいんだよね。こっちのヴィジョンがイマイチ伝わらないことがあって、だったら自分で勉強してやってみようと。いざやってみると、アレンジやミックスの諸々についてわかってきて、すごく役に立った。プロデュースを勉強したことでソングライターとしてもすごく成長したと思う。

Translated by Kazumi Someya

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