リッチ・ブライアン独占取材 人生を変えたヒップホップとアジア発のアイデンティティ

インドネシアで「ヒップホップの一員」になるまで

―ここで少し遡って、あなたの音楽体験について教えてください。資料によると2012年頃からヒップホップを聴くようになったそうですが……。

ブライアン:いや、2012年っていうのはたぶん、僕がTwitterを活用するようになった時期だね。その頃にTwitterで話題になっていたのがマックルモアで、「誰それ?」って興味を持って「Thrift Shop」という曲をチェックしてみたんだけど、正直に言うと最初はピンとこなかった。「なんでみんなコレで騒いでるんだ?」みたいな。でも、Twitterを始めていろんな情報が入ってくることにエキサイトしていた僕は、自分もそういう盛り上がりの一部になりたいって気持ちが強かったんだと思う。彼の音源やビデオを検索してはチェックして、何度か聴いているうちに好きになることができた。その過程でドレイクや2チェインズ、リル・ウェイン、ケンドリック・ラマー……いろんなアーティストを知ることになった。わかってくると「これ、めっちゃクールじゃん!」となってさ。その後は基本、ヒップホップのビデオを見まくって終わる日々だった。



―それってインドネシアでの話ですよね?

ブライアン:そうだね、アメリカに初めて来たのは2年前だもん。当時はまだどっぷりインドネシアだよ。

―インドネシアでもそういったアメリカのヒップホップは人気があった、ということ?

ブライアン:全然。インドネシアでは人気なかったよ。今でこそ人気が出てきているけど当時はサッパリで、だからこそ僕はヒップホップと出会ったんだと思う。他の人が聴いてるものとは違う、知らないジャンルの音楽を見つけたいと思うタイプの子どもだったから。あの頃、ああいうヒップホップを聴いてた子供なんて、インドネシア中を探しても僕だけだったんじゃないかな(笑)。当時はなんといってもEDMが人気で、今もたぶんインドネシアで一番有名な音楽ジャンルはEDMだと思う。あとはポップ。

―好きな音楽をシェアする友達もいなかった?

ブライアン:うん。

―それでネットの世界へ。

ブライアン:そういうこと。

―そこから自分でラップをやるようになった経緯は?

ブライアン:ラップを始めたのは、そうだなあ……。ヒップホップを聴き始めてから2〜3年してからかな。あの頃はもう、本当にヒップホップしか聴いていなかったから、他にやりたいこともなかったっていうか(苦笑)。まあ、それを言ったら今だってヒップホップばっかり聴いてるんだけど、最近は意識していろんな音楽を聴くようにしているんだ。ヒップホップがNo.1なのは変わらないけどね。最初はどうだったかな……もちろん聴きながら真似して、ってところから入ったんだけど、その後は……うん、たぶん家でYouTube巡りをしながら見つけたビートやインストのトラックに自分でライムを乗せてみたのがきっかけだと思う。そして思い知ったんだ、それがどんなに難しいことか(笑)。

―そうですよね。

ブライアン:「単語ひとつでも韻を踏むのが大変なのに、これを1曲通してやるの!?」みたいな(笑)。だけど僕って、結構チャレンジするタイプなんだよ。「やってやろうじゃないか!」ぐらいの感じで。何とか書き上げたものを拾ってきた音源に乗せて見たらなかなかの出来だったんで、当時ハマっていたTwitterにポストしてみたら、フォロワーの間で割と評判が良くて。作ったものを誰かが気に入ってくれるのは、すごくやり甲斐を感じたし嬉しくってね。コイツはクールだ!ってことでどんどんやるようになった。


2016年のデビューシングル「Dat $tick」がストリーミング数3億回を突破する特大ヒットとなり、リッチ・ブライアンは一躍シーンの最前線に躍り出た。

―誰か有名なアーティストの目に留まったりは?

ブライアン:なかった。全然だよ。もちろん、それを狙ってたというのはあるんだけど(笑)。僕は映像も作っていたから、そっちからでも誰かラッパーが気に入って連絡くれたりしないかな、と思ってたけど最初は全然だった。でも、少しずつフォローしてくれるラッパーが増えていって、最初にコンタクトしてきてくれたのはファット・ニックだった。その時はワオ!って感じだったよ。「俺、ヒップホップの一員になったかも」みたいな。

Translated by Kazumi Someya

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