ハードロックの栄枯盛衰を乗り越えた男が語りつくす、愛と憎しみの30年間

スキッド・ロウのヴォーカリストとして絶大な人気を誇ったセバスチャン・バック(Photo by Enzo Mazzeo)



「アイ・リメンバー・ユー」誕生秘話

―ここでスキッド・ロウの1枚目を作った頃の話に戻りましょう。当時、あなたは恋人のマリアとトロントに住んでいて、彼女は妊娠していました。デイヴ・スネーク・セイボはあなたにデモテープを送り、気に入ったあなたは実家住まいのレイチェル・ボランがいたニュージャージー州トムズ・リバーに飛行機で移動しました。

うん、その記憶は鮮明に思い出せるよ。あれはレイチェルの車庫だった。

―そのデモからアルバムに収録されたのが「ユース・ゴーン・ワイルド」と「エイティーン・アンド・ライフ」です。これ以外の楽曲へのインプットは許されたのですか?

「ラトルスネイク・シェイク」もあのデモに入っていたと思う……確かじゃないけど。でも、基本的にレイチェルの車庫で全部作った。そこで初めて「アイ・リメンバー・ユー」を聴いたのさ。そのあとで「ピース・オブ・ミー」も。「メイキン・ア・メス」はレイチェルんちのテレビ室に集まって全員で作った。そうやって作った曲を何度も繰り返し練習して、デモ・スタジオで録音した。ニュージャージーにハウス・オブ・ミュージックというスタジオがあって、そこで30曲録音したぜ。

―「アイ・リメンバー・ユー」を気に入ったのはあなただけだったんですよね?

(モトリー・クルーのマネージャーの)ドック・マギーがリハーサルに一度やって来た。車庫でやっていたリハーサルにね。俺たちはセットを通しで練習していて、終わりの方で俺が「ドック、ドック、この曲を聴いてくれ! 他のヤツらはこの曲をレコードから外すって言うんだ。だから、この曲、聴いてもらいたい! 本当に最高なんだから。聴いてくれ!」って頼んだ。他の連中は「面倒くせーな」って態度でさ。アコギだけの曲だった。アコギが入った唯一の曲で、彼がアコギを弾き始めたから、俺は歌を歌った。歌い終わる少し前にドックを見たら、彼が笑っていたんだ。この曲を安っぽいとか、女々しいって感じたのかもしれないけど、ドックが「この曲を入れないと言うのか?」と言った。そしたら誰かが「ああ、他の曲と合わないから」と答えたんだ。するとドックが「それはおかしいな。もうレコードに入っている感じがする」と。

―それに対する反論はどんなものでしたか?

女々しすぎるとか、ジャージー出身のタフな若者というイメージに合わないとか。でも、この話が変に伝えられて、誤解からまたケンカになるのが嫌なんだ。だって最終的にあの曲は俺たち5人で作って、アルバムに収録したんだから。USAトゥデイ紙が、あの曲は1990年のプロム曲のナンバー1だったと報じた。それまではずっとトム・ペティの「フリー・フォーリン」だったって。

―ミレニアル世代の多くが受精時にこの曲をBGMで聴いていたんでしょうね。

(笑)ああ、お役に立ててうれしいね。

Translated by Miki Nakayama

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